◯過去回想。社食。
穂花の目の前にトレーを置いて、篠田が腰掛ける。
篠田「塩澤、今付き合ってる人いる?」
穂花「……いない、けど」
ラーメンを食べていた箸をピタリと止めて篠田を見た。
篠田「俺の友達で、紹介したい男がいるんだけど」
穂花「私に?」
交友関係が広い篠田なら他にも紹介できる女性はいるはずなのに、どうして自分に声を掛けて来たのだろう。
もっと可愛くて女の子らしく、男性受けが良さそうな子は社内にも沢山いる。
自慢ではないが、穂花は美人だと言われても、男性に可愛いと思われるタイプではない。
穂花の無言の疑問に篠田は、からりと笑って答えた。
篠田「塩澤みたいな子、合うと思うんだよね」
穂花「へぇ……」
理論派の篠田にしては珍しく、何の根拠も示さない曖昧な答えだった。
篠田「めっちゃいい奴だから、良かったら会ってみてよ」
穂花「んー」
この頃の穂花は異動したばかりで、仕事で頭も気持ちもいっぱいいっぱいだった。先輩達についていくので精一杯。毎日必死で目の前の仕事にしがみついていて、恋愛なんてしている余裕はなかった。
付き合っている人も、好きな人もいなかったが、会社の人の紹介は色々と面倒だなと思った。
紹介された双方が好みでなかった場合も、万が一、付き合って別れた時も。
紹介してくれた人の面子も気にしなくてはいけない。
だけど、この時やけに篠田が自信満々に穂花と合うと言ってのけるから、ほんの少し相手に興味が湧いていた。
同期以上の気持ちなんてないけれど、篠田は男性として、人として、とても魅力のある人物だ。
その篠田がいい奴だと薦める友達が気になって、穂花は失恋したその友人に会ってみることにしたのだ。
◯過去回想。居酒屋。
穂花と篠田を見て、驚きの表情を浮かべる朝陽。
どうやら篠田は穂花がいる事を黙って連れて来たらしい。
朝陽「篠田……」
篠田「いいじゃん、たまにはこういうのも。いつも二人じゃ味気ないだろ。こちら、同期の塩澤さん。塩澤、これが椎名。大学の同級生」
穂花「塩澤です」
気まずそうに穂花を見ている朝陽に、仕事で鍛えた綺麗な笑顔を作って挨拶をした。
朝陽「……椎名です」
朝陽はほんのり頬を赤くして、恥ずかしそうに顔を伏せて名乗った。
彼女がいたわりには女性に慣れていないように見える。
そのぎこちない挨拶に、穂花もつられて、恥ずかしいような、擽ったいような気持ちになった。
飲み会は終始篠田が中心になって盛り上げた。
篠田「椎名はほんとに人が良すぎるんだよ」
飲み始めて一時間。
程よくお酒も入り、三人の緊張も解けて少しずつ饒舌になっていた。
篠田は朝陽の失恋話を穂花に聞かせる。
朝陽は三ヶ月前に、付き合っていた彼女が他の男の子供を妊娠して振られるという中々ヘビーな経験をしていた。
それは落ち込むだろうと、篠田と話している朝陽の顔をじっと見る。
篠田の話しに笑みを見せながらも、やはり浮かない表情だ。
朝陽「塩澤さん、これ食べた? 美味しいよ」
穂花「あっ、はい」
朝陽は、まだ他の女性と新しい恋なんてまるで頭にない様子だった。
それでも終始、穂花に気を遣って場を和ませようとしたくれた朝陽は好印象だった。
篠田の言うとおりだと思った。
性格は正反対なのに、何故か波長が合うような気がした。
出会って三か月目に穂花から告白して付き合う事になった。
急速に仲が縮まっていったのは相性がいいからだと思っていたけれど、朝陽にしてみたら、元カノを早く吹っ切りたいという気持ちもあったのかもしれない。
付き合いは順調に進み、一年足らずで結婚に結びつく。
結婚の報告を聞いた篠田は誇らしげに「俺が言った通りだったろ」と晴れやかな笑顔で笑った。
『塩澤と合うと思うんだよね』そう言った篠田を思い出して、穂花も満面の笑みを返した。
◯現在。病院。
ベッドに仰向けに寝ている穂花は、傍らに寄り添う朝陽から顔を晒して窓の外を見ている。
朝陽「のんちゃん……」
泣きそうな顔の朝陽が視界に入ってくる。
穂花(泣きたいのは、私の方だよ……)
朝陽から顔を背けて口を開いた。
穂花「……朝陽は」
穂花を見る朝陽。
穂花「どういうつもりで、子供と会ってたの」
泣きたくないのに、涙声になってしまう。
朝陽「最初は、責任だけ取るつもりで……子供の事、どういう対応が出来るのか……夫婦で話し合うから、もう少し時間が欲しいって伝えた」
朝陽「だけど、中々、のんちゃんに話せなくて…その間、彼女から毎日のように連絡が来るようになって……舞、子供が会いたがってるとか、体調崩したから、すぐに来て欲しいとか……呼ばれると、どうしても断れなかった」
穂花には、あの女性がわざと穂花といる休日に朝陽を呼び出して、穂花に不信感を植え付けていたように思える。
そして朝陽も、立場的に断りにくかったのかもしれないけれど、朝陽の方も会いたくて会いに行っていたように思う。
子供といる朝陽は、責任感で一緒にいるようには見えなかった。
勝ち誇ったような顔で穂花に朝陽の子供の存在を告げた茉里を思い出して、きゅっと唇を噛む。
穂花「朝陽は、どうしたいの……」
朝陽「……子供は、認知したいと思ってる。勿論、ちゃんと検査をして、俺の子供だと確定すれば……」
そんなことをしなくても、朝陽はあの子を自分の子供だと確信しているようだった。
検査云々は、穂花の気持ちを慮って言っているのだろう。
朝陽が父親ならば、親としての責任は果たさなくてはいけない。
認知して養育費を払う、知識の浅い穂花が今浮かぶのはそのくらいだが、それは構わない。
だけど、これからも、こんな風に朝陽はあの母娘と会い続けるつもりなのか。
ことあるごとに呼び出されて、その度に穂花よりもえの母娘を優先するのか。
それではどちらが本当の家族なのか分からない。
穂花の方が、邪魔者みたいだ。
◯翌朝。
入院せずに自宅休養となった穂花は、いつもより一時間遅い時間に目が覚めた。
リビングのテーブルの上には、朝陽が作った朝食が用意されていたが、本人の姿はない。
誰もいない部屋の中を見て穂花は涙を流した。