○マンションの一室。港区にある高級マンション。
 ダイニングテーブルに夫と向き合って座り、朝食を取っている。

朝陽「そうだ。GWのホテル取れたよ。のんちゃんが泊まりたいって言ってたとこ」
 
 にこにこ笑顔で妻をのんちゃんと呼ぶ夫は、子犬系の可愛らしい男性。

 妻の穂花は、綺麗過ぎる外見から一見冷たそうに思われがちだ。

 同じ歳の夫婦だが、妻が歳上に見られる事が多い。

穂花「本当!? キャンセル出たの?」

 穂花が嬉しそうな声をあげた。
 中々予約が取れない人気ホテルに宿泊したくて、ずっとキャンセル待ちをしていたのだ。
 GWまでまだ半年近くあるけれど、どうせキャンセルは出ないだろうとダメもとで登録していた。

朝陽「いや。篠田が譲ってくれた」
穂花「篠田君が?」

 篠田は朝陽の大学時代の友人で、穂花の会社の同期でもある。
   
朝陽「元々、彼女と行く予定だったのが、先週別れたんだって」
穂花「もう?」

 トーストを頬張りながら、穂花は呆れた顔をする。
 同期の篠田は上司としても友人としても信頼の置ける男だが、離婚以来、女性関係はぞんざいだった。
 ひとりの女性と半年と続いているところを見たことがない。
 

朝陽「ただ、三日から二泊分しか取れなかったから、他の日は別のホテル探さないとだけど」

穂花「全然いいよ! 一泊でも嬉しい! 篠田君にお礼しないと」

朝陽「今度飯奢るって約束した」

穂花「じゃあ、うちに呼んで三人で食べようよ。篠田君の好きなパエリア作って、スペイン料理パーティーにしよ」

朝陽「いいね。三人でって、最近なかったし」

穂花「決まり! 篠田君に声かけとくね」

○玄関。先に家を出る穂花を、朝陽が見送る。

穂花「そうだ、ごめん。スケジュール入れるの忘れてたけど、今日は取引先と食事会だから夕飯いらないんだ」

 夫婦の予定はスケジュール管理アプリをペアリングして共有しているのだ。

 家事は出来る方がやる事になっているが、平日は帰宅の早い朝陽が率先してやってくれている。

朝陽「了解。遅くなりそうなら、タクシー使って帰りなよ」
 
穂花「分かってるよ。じゃあ行ってきます」

 朝陽が穂花の腰に両手を回して、軽く唇を重ねる。
 

 新婚時代から変わらない毎日の習慣。
 結婚して七年経っても、ふたりはいつまでも蜜月の恋人のようだった。

穂花「いってきます」

朝陽「いってらっしゃい。頑張りすぎないようにね」

 朝陽の言葉に穂花は柔らかく微笑んでから、玄関のドアを開けた。

 頑張り過ぎないように、は朝陽が穂花によくかけてくれる言葉だ。 
 小さい頃から勉強も運動も、何でも軽々とこなせると周りに思われがちな穂花だが、実はかなりの努力家だった。
 穂花の努力を誰よりも理解してくれるのは、夫の朝陽だと思っている。

 のんびり屋で自己主張の少ない朝陽と、しっかり者でどちらかといえば完璧主義の穂花。

 性格は正反対なのに、お互いがぴったりとはまっているように感じるから不思議だ。

○会社。高層ビル。

 フロアに入ってきた男性を見つけて、穂花は声を上げる。

穂花「篠田君! おはよ」
篠田「はよ」

 笑顔の穂花を見て、同期の篠田が爽やかに笑いかけた。

 篠田は同期で一番最初に結婚し、一番最初に離婚した男だ。
 だけど最年少で開発部のマネージャーになった優秀な篠田にとっては、離婚など全くマイナスイメージになっていないらしく、結婚前も離婚後も女性社員には人気がある。
 

穂花「篠田君、GWのホテル、ありがとね」

 ああ、と頷いてから篠田は続ける。

篠田「いえいえ。キャンセルするには勿体ないと思ってたし、ちょうど良かったよ」

穂花「泊まってみたかったホテルだったの。ほんとにありがとう。……って言ったら、微妙だよね、ごめん」

 篠田が行けなくなった理由を思い出して、穂花は表情を曇らせて謝った。

篠田「全然大丈夫だよ、気にしないで。もう一ヶ月も前の話だし」

穂花「たった一ヶ月じゃない」

社員1「旅行ですか?」

 篠田と話していると、後ろの席に座っていた後輩社員二人が振り返って会話に入ってきた。

穂花「そ。GWに、沖縄」

社員1「旦那さんと? この間は北海道行ってましたよね。羨ましい〜」

社員2「主任のとこ、ほんと仲良しですね。お休みの日もいつも一緒に出掛けてるし」

穂花「まぁ、うちは夫婦二人だしね。暇持て余してるから」

社員1「主任見てると、夫婦二人っていうのもありなのかなって思いますよねー。生活水準も高いし」

社員2「最近は、子供いないカップル多いですもんね」

社員1「私もその方がいいなぁ。子育てで苛々したり喧嘩したり、お互い親としか見られなくなるよりは、ずっと恋人気分でいられた方が、素敵じゃないですか」

社員2「主任のご家庭は子供なし夫婦の理想ですよね。収入もあって、夫婦で趣味とか旅行とか楽しんで、自分にも投資を惜しまず、好きな事できてて……ほんと羨ましいです」

穂花「んー、どうかな。うちは、なんとなく、こういう形に収まってるけど。子供がいる家庭も素敵だと思うよ」

篠田「ほら。お喋りもいいけど、そろそろ仕事始めるよ。今日は朝礼の後、チームミーティングあるからね。プロジェクターの準備よろしくな」

社員1「チームミーティング、忘れてた! アジェンダなんでしたっけ」

社員2「げっ、私、今日ファシリテーターだ。資料の準備してない!」

 バタバタと各々の仕事に取り掛かっていく後輩達から、ふと視線をずらして篠田を見ると、視線に気がついた篠田がふっと優しげに目元を緩めた。

 夫婦の事情を知っている篠田がわざと話の流れを変えてくれたのだろうと分かり、穂花は目を細め、視線で感謝を伝えた。

◯チームミーティングで、発表をする穂花の姿。

 穂花が作成したスライドを真剣な表情で見る篠田。

 チームミーティングの様子を映しながら、穂花のモノローグ。

 
 私達夫婦は不妊治療の末に子供を諦めた。

 だけど子供がいないからといって、嘆き悲しんで暮らしているわけではない。
 寧ろ、諦めたからこそ夫婦の絆が深まり、ふたりきりの人生を大切にしようと思えるようになった。

 不妊治療をしている間は、どうしてこんなに苦しんで、努力して、我慢しているのに、子供ができないのかと、運命の理不尽さに毎日のように泣いていた。
 情緒不安定になり、気分の浮き沈みに苦しみ、朝陽に当たり散らしてしまう事も沢山あった。

 その頃を思い出すと、今の生活が私達にとってはベストだったのだと思える。

 結婚前と同じようにふたりでいろんな事をして、いろんな場所へ行き、ふたりで同じ時間を沢山共有する。

 稼いだお金は自身を磨き、生活を豊かにする為に使う。

 子供に分け与えられるはずだったお互いの愛情は、パートナーにだけ注がれ、お互いの為にこの先の人生を生きていく。

 こういうかたちだって、夫婦の幸せのかたちのひとつだ。

◯会社の廊下。

 会議室からゾロゾロと人が出て行く中、部長に呼び止められる。

部長「塩澤さん。先月、メルボルンで会って貰ったTCR社の案件、無事に決まりそうだよ」

 穂花のオフィスネームは旧姓の塩澤を使っている。

穂花「本当ですか?!」

 穂花が勤めているのは、外資のソフトウェア開発企業だ。
 一年に一、二度、海外オフィスへ出張していて、先月もメルボルンへ行っていた。

部長「この案件が決まれば、頻繁に向こうと行き来して貰う事になるから。できるだけ、一年はプライベートも考慮して貰いたい、けど……大丈夫かな?」

 つまり、急な妊娠は勘弁してくれということ。
 このコンプライアンスが厳しい時代、部長もセクハラやマタハラには敏感だ。
 慎重に言葉を選んで恐々とした様子で訊いてくる部長に苦笑して返事をした。
 

穂花「……はい。それは、心配いりません」

部長「ごめんね。こんな事、俺も言いたかないんだけどさ。高見沢さんが抜けた時は、急な事で色々揉めたからさ。でっかい案件だし、途中でメイン担当が一抜けだと、向こうの士気にも関わるからさ」

 高見沢は穂花の二つ下の後輩で、海外の案件も精力的にこなしていた優秀な社員だった。妊娠して悪阻による体調不良で頻繁に休むようになり、時差がある海外企業とのやり取りに上手く対応できずにトラブルに発展してしまった。

 結局彼女は、産休を取らずに退職した。

 
 外資特有のリベラルな社風は残しながらも、所詮は日本に居を置く会社だ。
 日本法人の内情は、海外と同じではない。

 まだまだ、ワーキングママが働くには色々と環境は厳しい。
 

 先程言われた後輩の言葉を思い出す。「先輩のところは、理想の夫婦ですよね」

穂花(理想、か)

 人から羨まれたり、憧れてもらいたいのではない。

 ただ、子供が産めなくて可哀想だと思われたくなかった。

 子供がいない人生を受け入れてはいるけれど、子供がいないことで不幸だと、周囲に哀れまれるのは嫌だ。

 だから、理想の夫婦でいられるように、そう見られるように、努力してきた。

 子供が産めなくて仕方なく選んだ形ではなく、自分達が望んでのこの形なのだと、周りに堂々と言えるように。

 自分のキャリアも、自分の家族も手に入れることができたのは、この形を選択したからこそだ。

 限られた選択肢の中から選んだ人生だったとしても、これがふたりにとっては最善のかたちだと信じていた。

 夫婦ふたりだって、子供がいる家庭に負けじと倖せなのだ。

 

 倖せだと思っていた。


 あなたも、そう思っていると信じていた。