「リリア・スタフォード! 今日この場をもって、君との婚約を破棄する!」

 夜会の最中、アルヴィス王太子殿下の声がフロア中に響き渡った。

 ……しーん。


 たった今、公衆の面前で。

 婚約者であるリリア・スタフォード公爵令嬢に婚約破棄を言い渡した王太子殿下。
 背筋をピンと伸ばし、足を肩幅にどっしりと開き、ちょっと体をナナメった感じでリリア様をまっすぐに指さしている。

 縦ロールの、ザ・悪役令嬢リリア様は澄ました顔で、アルヴィス殿下へまっすぐに視線を向けている。


 二人の間の距離は、ざっと五メートルくらいかな。


 ……ううん、そんなことはどうでもいい。今一番の問題点は、


 私が偶然にも、その二人のちょうど真ん中あたりに立ってたってこと。またポジショニング間違えちゃった……!


 あのさ。

 本当に悪いんだけど。

 婚約破棄って結構重要な用件ですよ。それを、五メートルくらい離れた状態で伝えるって、どうかと思いますよ。しかも間に誰か挟まってたら、ちょっとは配慮してくださいよ。


 分かります? 今、フロア中の人の視線は。

 アルヴィス殿下→リリア様

 となるべきところ、

 アルヴィス殿下→大きな口でスイーツを口にパクッとしたばかりの私→リリア様

 の順で動いてるからね。


 みんなびっくりしてるよ。

 アルヴィス殿下の声にびっくりしてそっちを見て、婚約破棄されたリリア様の表情を確認しようと視線を動かしたら。確実に私の姿が見切れるからね。


「あれっ? なんでこの人、間に挟まってんのかな?」

 って、みんな確実に思ってる。正直不要だよね、口の横にクリームついてる第三者の見切れ。


 ほら、リリア様がちょっと首を斜めに動かしたじゃないの。ちょうど対角線上に私がいて、アルヴィス殿下のこと見えなかったんだと思うよ。面白いくらい一直線上だよね、私たち。


「リリア! 君はここにいるマリー嬢に、数々の嫌がらせをしただろう。私の耳に入っていないとでも思ったのか」
「殿下、何かの間違いでございます。わたくしはアチラにいらっしゃるマリー様に嫌がらせなどした覚えはございません!」


 ほーらほらほら! またまた誤解を招く!

 こういう時はね、マリー嬢とかいう人は殿下のすぐ横に陣取るべきでしょ! なんでそんなフロアの端っこでちっちゃく控えてんのよ!

 みんな思ってるよ、私のことをマリー嬢だって。
 ちがうちがう! 私は赤の他人ですから! たまたま近くにいただけなんです。

 もーやだ! フロアの全員が足を止めて事の成り行きを見つめる中、私だけがどこかに移動するなんてかえって目立つし、どうしよう……ええい、とりあえず勢いを付けるためにお酒飲んじゃえ!

 目の前にあったワイングラスを手に取り、私は一気に飲み干した。
 遠くで小さく「……おおっ!」って聞こえたけど、もう知らない。

「とにかく、君がこんなに性根の腐った女だとは知らなかった。マリーに嫌がらせをしているところを目撃したという話は多々聞いている。今日から君は私の婚約者ではない。今後の沙汰は追って連絡しよう。しばらく自宅にて謹慎するように」

「……殿下! お待ちくださいッ!」
「待てるか! 恥を知れ!」


 今日は何の日だっけ?

 あ、そうだそうだ。確か、王国の建国記念日の夜会じゃなかったっけ? そんなめでたい日に婚約破棄なんて、一体アンタ何やってんの? 王太子殿下?




「……ねえ、恥を知るのはどっち?」


 このフロアのほとんどの人が私のことをマリー嬢だと勘違いしてる中で大変失礼致しますよ。

 偶然とは言え、お二人のちょうど真ん中に陣取ってしまった私にも、なすべきミッションというものがございます。たまたまこの場所に居合わせただけなんですと言えば、私には関係のないことだと逃げることもできたでしょう。

 いや、しかし!

 酔っぱらうと気が大きくなりますよね。このまま無視し続けるなんて、私にはできません。今の私は、圧倒的な当事者意識にあふれている!


「殿下」

「……なっ……なんだお前は」


 お二人のちょうど真ん中にいたのも何かのご縁。
 コンパスで言えば針の部分。マラソンで言えば折り返し地点。体で言えばヘソ。

 ヘソ令嬢のわたくしが、リリア様の代わりに殿下に物申しましょう!


「建国記念日の祝いの席で、極めて個人的な話題を突然切り出すなんて。どうなんですか? 話題にはそれぞれ、話し合うにふさわしい場というものがありますでしょ? それに、突然『婚約破棄』ってなんですか? 『嫌がらせ』とかいう不明確な基準を盾にして、なんかこの場の人の多さを利用して勢いで自分の我がまま通そうとしてません? 楽して別れようっていう魂胆がミエミエです」

「決して、楽して別れようなどとは……っ! リリアが悪いのだ、マリーを陰でいじめたりするから」

「そーれそれそれ! それですよ! 陰でいじめてるかどうかなんて、誰から聞きました? 相手を陥れるために、『いじめられた』って虚偽の申告する人いますよ。マリーさんの言葉が嘘じゃないかどうか、きちんと検証しました?」

 あれ、向こうの方で「あの人はマリー嬢じゃないみたいよ」って呟いてる人がいるわね。


「それに、リリア様の手首を見てください。殿下の髪と瞳の色の刺繍糸で編んだお守りをブレスレットになさってますよ。殿下のこと、大好きなんじゃないですか!」

「なに……? リリアが?」

 あ、ごめん。一直線上だからリリア様のこと見えなかったよね。
 殿下もちょっと首を斜めにしてリリア様を見る。

 頬を染めて、視線をそらすリリア様。かわいいっ!


「さあ、殿下。それに引きかえ、マリー様をご覧ください」

 ……ちょっと待ってよ。
 フロア中のみんなが、「マリー、どこ?」みたいになってるじゃん。一斉にキョロキョロし始めたわ。

 だから、殿下のすぐ横に控えておけっていったのに。


「マリー、こちらへ……」

 殿下の視線が、フロアの端っこにいるマリー様に注がれます。

 マリー様は手首を押さえ、眉毛がハの字。ふるふると首を横に振ってます。
 これ完全に、クロですよ。

「マリー、君もそのお守りとやらを……?」

「殿下、申し訳ありません……私……っ!」

 殿下がマリー様の元に駆け寄り、彼女が隠していた手首をつかんで上に引き上げました。


「……何だこれは、黒一色!」
「殿下……お許しください!」

 私もワイングラスを片手に、マリー様の元に近付きます。


「黒が何を示すのか。殿下、お分かりですか?」
「分からん……この国に黒髪の者など」

 会場の人たち、全員が唾をゴクリと飲みましたね。さあ、言いますよ。

「殿下。黒一色のお守りは……今の恋人と別れたいという呪いです!」

「なんだとぉっ!!」

「ごめんなさい、殿下! 私、別に殿下と婚約したかったわけじゃなくて。だから今日もこんな遠くに隠れてたのにぃっ!」


 リリア様に婚約破棄を軽々しく告げちゃった挙句、本命のマリー様にも呪われてた王太子殿下。

 この後、この国の王太子の座がどうなったのか。私は酔っぱらっていたから知りませ~ん!