二枚目俳優と三連休

 マンションから出てしばらく走って、通りがかった空車のタクシーに乗った。自分のアパートの部屋まで、思ったよりも遠くなかった。タクシーの中で、声を殺して泣いた。呆気なくアパートに到着し、料金を払う。去って行くタクシーを見ながら、早くこうすればよかった、と思う。
 何かを思えば涙があふれてしまう。何も感じないようにしようとアパートの部屋に向かう。すると、部屋の前に人影がいて正気に戻った。逃げようとしたら、腕をつかまれた。
「きっと帰ってくると思ってたよ。さなえ。僕のメール読んでくれたんだね」
 田島だった。さなえは声にならない叫びをあげて、田島の腕から逃れようとした。
「ど、どうしてここが」
「そんなの興信所使えば簡単だよ。さなえ。やっぱり僕しかいないんだろう。僕が君を幸せにしてあげる」
 声の優しさとは、裏腹に、腕をつかむ力がとんでもなく強い。さなえは、狂気を感じた。
 その次の瞬間、だんっと足音がした。
「そのてをはなさんかいこのくそぼけいてこますぞこらだれのもんにてをだしとんじゃそいつはおれのもんじゃ、ああ?」
 突如現れた高柳の啖呵に、田島がびくっとして腕の力が緩んだ。さなえはすかさず、田島から離れ、高柳の方へ走った。
「高柳さん…!」
 高柳がさなえを抱き寄せ、もう大丈夫や、と言った。田島は顔を引きつらせて怒鳴った。
「なんだ、君は」
「役者だよ。悪いけど、それなりに人脈もあってね。あんたの会社、東洋商事の社長とも懇意にさせてもらってる。女の子につきまとう癖がある、ってオレがチクったら、あんたフランスどころか、クビだってあぶないで」
「な…そんな戯言っ…!」
 否定しようとしているが、明らかに田島が焦っているのがわかる。
「ええの?じゃ、今電話するで。えーと、東洋商事の館山さんは、と」
 高柳がスマホを手にする。田島が叫ぶ。
「ま、待てっ!」
「チクられたくなかったら、伊藤さんの事は諦めろ。せいぜいフランスに行って精進するんやな」
「くっ…!」
 田島は、言葉にならない奇声を発しながら、さなえと高柳の前から去った。足音が聞こえなくなると、さなえは安堵で深く息を吐いた。そして、抱き寄せられたままだった高柳の顔をそっと見た。高柳は視線を合わせてにこっと笑った。
「怖かったろう。もう安心やで。ひょっとして奴が来てるかも、と思って追ってきて正解やったな」