アイツ、とはわたしの兄だ。お兄ちゃんは今年三十歳。駅前の洋食屋さんでシェフとして働いていたが、イタリアで料理の修行をして、自分の店を持つんだ!という野望を抱き、三十代に突入する直前の去年秋、イタリアに修行に行ってしまった。

十歳違いの妹のわたしを置いて。

両親を早くに亡くしてから、兄はわたしのことを精いっぱい大切に面倒見てくれた。わたしが卒業し、めでたく就職が決まったところで、やっとお兄ちゃんは自分の道を進み始めることを決心したのだ。

だから、お兄ちゃんのこと、ものすごく応援しているし、絶対心配かけないって決めている。もうハタチになったのだから、わたしだって大丈夫だ。

けれども根が心配性のお兄ちゃんは、自分が面倒見ることができない代わりに、斗悟さんにわたしを託した。
幼稚園からの幼馴染で、大親友の彼に。

「お水、おいしいねえー。斗悟さんがいれてくれたから」
「誰が入れてもいっしょだ。あっ、バカ! そこで寝るな」

フローリングの冷たさがひやっとして最高に気持ちいい。靴を脱ぐのすらめんどくさかったので、このまま寝てしまいたい。むにゃむにゃと丸まろうとしていると、ぐいっと身体を起こされた。

「寝るなって言ってるだろ。早く服脱げ。それ、大事なやつだろ?」

彼は慌ててワンピースの裾を持ち上げた。わたしが踏んでしまいそうになったから。
「うーん……そう、だいじだよ。このわんぴ……お兄ちゃんと、とうごさんがたんじょうびに買ってくれた」
「染みつけてないだろうな……。明日の朝ちゃんと見とかないと」