泡沫の夢の中で、一寸先の幸せを。【完】


「佳乃」

ゆっくりと紡がれた私の名前。

こんなにも優しい音を私は他に知らない。


「俺もまた会いたいよ」

「っ」

「いつだって佳乃に会いたい」


沈んだ太陽、暗がりが二人を包む。

穏やかに笑う拓海の向こう側で、一番星が見えた。


「私が今日の事を忘れてても、それでも会いたいって思ってくれるの?」

「うん。例え佳乃に今日の記憶がなくても佳乃は佳乃でしょ?思い出が世界から消えるわけじゃないよ」

「っ」

「思い出せないだけで、消えてなくなってしまうわけじゃない」

「拓海、」

「スマホの中にも俺の記憶にも、佳乃の心にも、どこにだってちゃんと存在してる」

「⋯」

「佳乃がそこに居るのなら俺はいつだってどこへだって会いに行きたい」


夏の夕方の空気は澄んでいて、それでいて涙が出てしまいそうに切ない。

だけどきっと今、私の頬を流れている涙は夏のせいだとか、輝く星が綺麗だからとかそういうんじゃなくて、拓海のせいだ。


私が記憶を失っても会いたいと言ってくれる人がいる。

来週の私を今日と同じ私だと言ってくれる人がいる。

私が頭からなくしてしまう思い出を覚えていてくれる人がいる。


それだけで充分だと思った。

覚えていたい。忘れたくなんかない。

だけど今この瞬間だけは、拓海が覚えていてくれるならそれでいいのだと、そう思った。


涙を流しながら顔を覆った私の身体を拓海の腕が引き寄せる。

ぎこちなく、だけどすっぽりと私を包む拓海のその胸で私はひたすら泣き続けた。

温かくて、とても安心する腕の中。

お母さんとは全然違う感覚だけど、とてもとても安心したんだ。