泡沫の夢の中で、一寸先の幸せを。【完】


「とりあえず、もう一回自己紹介をすると、俺は高校三年で坂口拓海って名前」

「⋯同い年だ」

「本当?偶然だな」


柔らかく笑う彼に見覚えなんてない。
その声も名前も知らない。

それなのにどうしてか、心がざわざわする。


「改めて俺はアンタと友達になりたいんだけど」

「⋯っ」

「嫌なら嫌でいい。答えをくれる?」


僅かに首を傾げた彼の黒髪が揺れる。
突き放すわけでも怒って帰るわけでもなく、優しく声を発する彼のキラキラした瞳に私が映った。

その顔さえ、来週には忘れてしまう。

周りのことだけでなく、自分のことまで忘れてしまう。

覚えているのなんて自分の名前くらいで、好きな食べ物も好きな色も、歩んできた道さえ、忘れてしまう。全て誰かに教えてもらわないと過ごしていけない。


─────嗚呼、分かった。

私が来週またここに来てと言った意味が。
そしてその事をどこにも記さなかった訳が。

一週間前の私は予防線を張ったんだ。

彼が後ろめたさや罪悪感を持たない様にと。

そして自分が傷付かない様にと。


彼が来なければ私は何も知らないまま今まで通り過ごしていけるし、彼がこうして約束通り来てくれたとしても、私が何も覚えていない事を知れば罪悪感は軽減されるだろう。


すう、と海の潮の香りを吸って、大きく呼吸をする。


「私、一週間前の事を覚えていられないんだ」


その言葉を聞いた彼は理解が出来なかったのか眉を寄せて「どういう意味?」と言った。