泡沫の夢の中で、一寸先の幸せを。【完】


私の言葉を聞いた彩乃は驚いた様に目を大きくした後、無邪気な顔をして笑った。

私に過去の記憶がないけど、こんなに胸が高鳴ったのはこんなにも嬉しそうに笑う彩乃を見たのがのとても久しぶりだったからだと思う。


「⋯⋯私さ、」

「うん?」

「私、吹奏楽を始めたのはお姉ちゃんがキッカケだったんだよね」

「えっ?」

「お姉ちゃんの為に始めて、お姉ちゃんの為に三年間頑張ったの」


少し前にお母さんがそんな様な事を言っていたきがするけど、改めて彩乃の口からそう聞くと意味が分からなすぎて困惑してしまう。


「私の為ってどういう事⋯?」


そしてそう聞いた私に返ってきた言葉は、困惑を超えて放心してしまう程驚くもので⋯⋯、


「記憶がなくなっちゃうお姉ちゃんでも、音だったら覚えてられないかなって思ったの」

「音⋯?」

「匂いや音だったらもしかしたらふとした瞬間に何かを思い出せたりするんじゃないかって。昔聴いてた音楽を聴くとその時の事が蘇ってくるって話もよく聞くし」


⋯⋯確かに、私は海の香りで記憶が戻るとまではいかないものの懐かしい気持ちになったりする。


「だからね、私が演奏した音楽をお姉ちゃんが聴いてくれたら、もしかしたらいつかその時の事を思い出してくれる日がくるんじゃないかって思ったの。音楽ならお姉ちゃんの記憶に残りやすいんじゃないかって」

「⋯⋯っ」

「だから吹奏楽を始めて、上手くなりたくて三年間頑張ったの」

「⋯⋯、」

「お姉ちゃんが私の楽器を覚えていなかったり、音楽も全然覚えてなかったりした時は凄く辛かったけど、それでもお姉ちゃんの記憶が戻るなら、私のことを一つでも覚えてもらえたらって、頑張れた」

「彩乃⋯」

「お姉ちゃんの為にも自分の為にも頑張れたんだ」


まさか彩乃がそういう理由で吹奏楽を始めたなんて思っていなくて、三年間努力していた理由が私だったなんて想像すらしていなくて。

彩乃を解ろうとしていなかったのは、寄り添おうとしていなかったのは私の方だったとまた痛感させられる。

そしてそこまでしてくれた彩乃の演奏をこれまで覚えていられなかった事がとても悲しい。

彩乃の楽器の事だって教えてもらわなければ分からないし、去年彩乃がどんな演奏をしたのかも覚えていない。

こういう事を突きつけられるから彩乃は私にコンクールに来なくていいと言っていたのだと、愚かにも今気付く。

遣る瀬なく、努力が無意味になってしまう可能性があるから彩乃は私を拒んでいたのだ。