泡沫の夢の中で、一寸先の幸せを。【完】


夕凪で波音に掻き消される事のなかった私の足音に気付いた彼がパッと後ろを振り返る。


「────佳乃」


そして光を沢山閉じ込めた瞳を柔らかく三日月に細めて嬉しそうに笑う男の子。

朝見た写真と同じ笑顔。


「⋯たく、み」

「うん?」

「来てくれてありがとう」


記憶がないから感覚的には初対面と変わらないはずなのに、何故か初めて会った様には思えない。それは彼の表情があまりにも柔らかく、その雰囲気が私を受け入れてくれている様に感じる空だろうか。


「佳乃から連絡きた時嬉しかったよ。おいで」

ポンポンと自分の隣を手で叩いた彼に小さく頷いてその隣に腰を下ろす。
潮の香りと柔らかく甘い香りが鼻腔を擽った。


「⋯今日ね、朝、スマホに入ってた写真を見たの」

「写真?」

「うん。ヒマワリの写真」


凪いている海を見ながら静かに話始めた私に彼は一瞬私の方に視線を向けた後、ゆっくりとその瞳を海に戻す。

水平線の向こうに少しずつ姿を隠していく夕日は息を飲む程綺麗で、私たちは美しいその光景を見ながら言葉を交わした。


「写真があるだけでこんなにも違うんだって思った。もしも写真がなかったら拓海と会うのにもっと緊張したと思うし、怖かったと思う」

「うん」

「私は記憶がないからその人とどんな関係性でどんな時間を過ごしていたのか分からない。もっといえば、友達と日記帳に書いてあったとしてもそれが本当にそうなのか分からないの。だけど写真があった事で凄く安心した」

「安心?」

「拓海と楽しそうに笑っている自分の写真を見て安心したの」


過ごした時間は現実だったんだと。

楽しそうな自分を見て彼は信じられる人なのだと。


「もちろん緊張もしたけど、拓海に会いたいって思った」

「っ」

「きっとこの先も写真を見る度に拓海に会いたいと思うと思う」

「うん」

「不思議だよね。忘れちゃってるはずなのに、拓海といると落ち着くの。過ごした時間も交わした言葉も覚えてないのに、拓海のことだって分からなくなってるのに、会いたいって思うなんて。こうして隣にいてくれる事が嬉しいの」

「佳乃⋯」


どうして拓海といるとこんなにも心が穏やかになるのか。
どうしてこんなにも心が締め付けられるのか。

どうして会いたいと思うのか。

どうしてその顔をずっと見つめていたいと思うのか。


その答えを掴めそうで掴めなくて───。