毎朝私とラルフ様は、ジーク国王陛下の部屋に向かう途中の回廊で落ち合うことにしている。
今日も|人気(ひとけ)のない回廊をコツコツと歩くと、柱に背中を預けて腕を組んで待つラルフ様が目に入った。
彼も足音に気付いて、こちらを向く。
私が傍まで近付くと、ラルフ様は組んでいた腕を解いて大きく両手を広げた。私は無言のまま彼の胸にポスっとおさまり、そのまま抱き締められる。
これが、私たちの日課。
さすがにジーク様の部屋の前でこれをやるわけにもいかないし、使用人棟の近くではたくさんの人に見られてしまう。
この人気のない回廊が私たち夫婦の、いわゆる逢引の場なのだ。
「おはようございます。ラルフ様」
「おはよう。次の休日はタウンハウス別邸に移るが、荷物はもうまとめたか?」
ラルフ様が私の髪の毛に顔を埋めながら言う。耳に息がかかってこそばゆい。
「荷物の準備はもうできてます。あとは少々別の準備がありまして……ちょっとバタバタするかもしれません。しばらく夜は会えないかも」
「ん? 何かあったか? 申請手続きなどは全て俺が済ませておいたが」
「えっと、私にだって色々と事情があるんですよ! さあ、遅刻します。行きましょう」
ラルフ様の胸に両手をついて体を引き離し、私はジーク様の部屋に向かった。いつもより少し短めの逢引に、ラルフ様は不機嫌そうな顔だ。
◇
さて、私が『おさわり』する相手は誰にしようか。
私が良く知る成人男性と言えば、すぐに思い当たるのはロイド・クライン様。ジーク国王陛下のお姉様であるヒルデ様の、秘密の恋人。
うーん、でもヒルデ様のご機嫌を損ねてはいけないから、ロイド様におさわりするのはやめておこう。
(じゃあ、他には……?)
ラルフ様の部下の騎士ガイア・テニエルはどうかしら。
植木職人のハーマン・レイズさんも良いわね。
使用人棟の管理人、オズウェルさんという手もあるわ。
頭に描いた三人が、揃いも揃って少々濃い目の顔立ちなのは偶然だろうか。ラルフ様はどちらかというと涼し気な顔をしているから、無意識に真逆のタイプを選んでしまったのかもしれない。
夫以外の男性におさわりすることに、私にだって少しは罪悪感があるのだ。
「マリネットせんせい! 今日はお外に遊びに行くんでしょ? 早く準備して!」
「あっ、ジーク様。申し訳ありません。準備はできておりますよ、参りましょう」
外国の有名画家の絵が美術館に展示されていると聞いて、今日はジーク様と一緒に絵画鑑賞に行く予定だ。
ちょうどいい。外出する時には必ず護衛騎士が同行するので、今日はラルフ様ではなくてガイア・テニエルに同行してもらうというのはどうだろう。
そこでジーク様が絵画に夢中になっている隙を見て、私はガイアにおさわりを……。
「マリネット、何をモタモタしてる。行くぞ」
「……え? まさか今日の同行は、またラルフ様? ガイアに頼んだはずだったんだけど」
美術館に向かう馬車が停められた場所に行くと、不機嫌なラルフ様が馬車の扉を開けて待っていた。
今朝からずっとこの顔をしているのかと思うと、顔が不機嫌なまま固まってしまわないか心配だ。
「何でそんな嫌そうな顔するんだよ。今日の同行は俺とガイアの二人だ」
「あ、そうなのね! ありがとうございます。さあ、ジーク様。お気を付けて中へどうぞ」
ジーク様を馬車にお乗せする間も、背中にチクチクと刺さるラルフ様の視線が痛い。せっかくガイアにこっそりと触って男性恐怖症が治ったことの確信を得たかったのに、何だかラルフ様に監視されているような気がする。
(ラルフ様にバレないように、こっそりとガイアと二人きりになれないかしら。もしくは、彼が見ていない間に短時間でさっさと済ませる?)
色々と悩んでいる間に馬車は美術館に到着してしまい、私はジーク様と共に館内へ入る。ラルフ様とガイアは、それぞれ少し距離を置いて付いて来ていた。
絵画の展示は、私の悩みを吹き飛ばすほどに本当に素晴らしかった。
キャンバスは木の板に布を張ったものではなく、少し厚めの紙。メデル王国で使われているような画材ではなく、黒一色で濃淡をつけて描かれる自然の風景。たった一色なのに、雄大な自然の迫力を感じさせる描き方は、ここまで生きてきて一度も見た事のない技法だ。
私がぼーっとその絵の美しさに見惚れていると、ジーク様が横でモゾモゾとし始めた。
「ジーク様。美術館では静かに観覧しなければいけません。走ったりゴソゴソと動くと、周りの方が気になってしまいますからね」
「マリネットせんせい、違う! お手洗いに行きたいの!」
「ええっ! と、突然?!」
急いで近くにいたラルフ様を呼び、ジーク様をお手洗いにお連れするように頼んだ。ジーク様を抱き上げて走っていくラルフ様の背中を見送ると、一気に力が抜ける。
「国王陛下とは言え、まだまだ小さいものね。仕方ないわ……」
「ですねえ。うちの姪っ子ともかもそうですよ。何でもっと早く言わないの! っていつも怒られてます」
「あら、どこもそうなのね」
……なんて世間話をしてしまったけれど、私に話しかけて来たのは護衛騎士のガイアだった。ジーク様とラルフ様はしばらく戻ってこないこの状況で、図らずもガイアと二人きりになったのだ。
(まさかの大チャンスなのでは?!)
今日も|人気(ひとけ)のない回廊をコツコツと歩くと、柱に背中を預けて腕を組んで待つラルフ様が目に入った。
彼も足音に気付いて、こちらを向く。
私が傍まで近付くと、ラルフ様は組んでいた腕を解いて大きく両手を広げた。私は無言のまま彼の胸にポスっとおさまり、そのまま抱き締められる。
これが、私たちの日課。
さすがにジーク様の部屋の前でこれをやるわけにもいかないし、使用人棟の近くではたくさんの人に見られてしまう。
この人気のない回廊が私たち夫婦の、いわゆる逢引の場なのだ。
「おはようございます。ラルフ様」
「おはよう。次の休日はタウンハウス別邸に移るが、荷物はもうまとめたか?」
ラルフ様が私の髪の毛に顔を埋めながら言う。耳に息がかかってこそばゆい。
「荷物の準備はもうできてます。あとは少々別の準備がありまして……ちょっとバタバタするかもしれません。しばらく夜は会えないかも」
「ん? 何かあったか? 申請手続きなどは全て俺が済ませておいたが」
「えっと、私にだって色々と事情があるんですよ! さあ、遅刻します。行きましょう」
ラルフ様の胸に両手をついて体を引き離し、私はジーク様の部屋に向かった。いつもより少し短めの逢引に、ラルフ様は不機嫌そうな顔だ。
◇
さて、私が『おさわり』する相手は誰にしようか。
私が良く知る成人男性と言えば、すぐに思い当たるのはロイド・クライン様。ジーク国王陛下のお姉様であるヒルデ様の、秘密の恋人。
うーん、でもヒルデ様のご機嫌を損ねてはいけないから、ロイド様におさわりするのはやめておこう。
(じゃあ、他には……?)
ラルフ様の部下の騎士ガイア・テニエルはどうかしら。
植木職人のハーマン・レイズさんも良いわね。
使用人棟の管理人、オズウェルさんという手もあるわ。
頭に描いた三人が、揃いも揃って少々濃い目の顔立ちなのは偶然だろうか。ラルフ様はどちらかというと涼し気な顔をしているから、無意識に真逆のタイプを選んでしまったのかもしれない。
夫以外の男性におさわりすることに、私にだって少しは罪悪感があるのだ。
「マリネットせんせい! 今日はお外に遊びに行くんでしょ? 早く準備して!」
「あっ、ジーク様。申し訳ありません。準備はできておりますよ、参りましょう」
外国の有名画家の絵が美術館に展示されていると聞いて、今日はジーク様と一緒に絵画鑑賞に行く予定だ。
ちょうどいい。外出する時には必ず護衛騎士が同行するので、今日はラルフ様ではなくてガイア・テニエルに同行してもらうというのはどうだろう。
そこでジーク様が絵画に夢中になっている隙を見て、私はガイアにおさわりを……。
「マリネット、何をモタモタしてる。行くぞ」
「……え? まさか今日の同行は、またラルフ様? ガイアに頼んだはずだったんだけど」
美術館に向かう馬車が停められた場所に行くと、不機嫌なラルフ様が馬車の扉を開けて待っていた。
今朝からずっとこの顔をしているのかと思うと、顔が不機嫌なまま固まってしまわないか心配だ。
「何でそんな嫌そうな顔するんだよ。今日の同行は俺とガイアの二人だ」
「あ、そうなのね! ありがとうございます。さあ、ジーク様。お気を付けて中へどうぞ」
ジーク様を馬車にお乗せする間も、背中にチクチクと刺さるラルフ様の視線が痛い。せっかくガイアにこっそりと触って男性恐怖症が治ったことの確信を得たかったのに、何だかラルフ様に監視されているような気がする。
(ラルフ様にバレないように、こっそりとガイアと二人きりになれないかしら。もしくは、彼が見ていない間に短時間でさっさと済ませる?)
色々と悩んでいる間に馬車は美術館に到着してしまい、私はジーク様と共に館内へ入る。ラルフ様とガイアは、それぞれ少し距離を置いて付いて来ていた。
絵画の展示は、私の悩みを吹き飛ばすほどに本当に素晴らしかった。
キャンバスは木の板に布を張ったものではなく、少し厚めの紙。メデル王国で使われているような画材ではなく、黒一色で濃淡をつけて描かれる自然の風景。たった一色なのに、雄大な自然の迫力を感じさせる描き方は、ここまで生きてきて一度も見た事のない技法だ。
私がぼーっとその絵の美しさに見惚れていると、ジーク様が横でモゾモゾとし始めた。
「ジーク様。美術館では静かに観覧しなければいけません。走ったりゴソゴソと動くと、周りの方が気になってしまいますからね」
「マリネットせんせい、違う! お手洗いに行きたいの!」
「ええっ! と、突然?!」
急いで近くにいたラルフ様を呼び、ジーク様をお手洗いにお連れするように頼んだ。ジーク様を抱き上げて走っていくラルフ様の背中を見送ると、一気に力が抜ける。
「国王陛下とは言え、まだまだ小さいものね。仕方ないわ……」
「ですねえ。うちの姪っ子ともかもそうですよ。何でもっと早く言わないの! っていつも怒られてます」
「あら、どこもそうなのね」
……なんて世間話をしてしまったけれど、私に話しかけて来たのは護衛騎士のガイアだった。ジーク様とラルフ様はしばらく戻ってこないこの状況で、図らずもガイアと二人きりになったのだ。
(まさかの大チャンスなのでは?!)