夜会が催される広間は、大理石をふんだんに用いた豪華な内装。どの部屋にも共通しているのだが、特に天井画と柱の彫刻は美しく、このメデル王国の文化の粋を集めた芸術作品とも言える。
 たった一か月間のジーク様へのスパルタ詰め込み教育、そしてイリスとラルフ様の監視をしながらのお茶会という高難易度任務を終え、私は死んだ魚のような目をしてその広間に立っていた。


「終わったわ……」
「マリネット、今日は本当にお疲れ様」
「コーラ様こそ、お疲れさまでした。お茶会が何とか無事に終わって良かったです」


 疲れ切った私たちは壁にもたれかかって、お互いをねぎらう。

 初対面のご令嬢たちと次々にダンスをして笑顔を振りまいたジーク様は、疲れからかコテンと眠ってしまった。
 あんな小さな体でここまで頑張らせてしまって申し訳ないと思いながらお部屋に運んだら、寝ぼけたジーク様が「楽しかった」と言って私のドレスの裾を握って掴んだ。


(楽しく過ごして頂いたのなら良かった……。あとは、ジーク様に合う素敵な婚約者を選んで頂けたら言うことはないわね)


「ねえ、マリネット。お茶会で働いた私たちは、夜会は自由に楽しんでいいんですって。お仕事から解放されてゆっくり楽しみましょう」
「そうですね。私、実は夜会に参加するのは四年ぶりなんです。楽しむというよりも、むしろ緊張してしまって」
「あら! せっかく若いんだからダンスの一つでも踊ってきたらどうなの? この前ロイド・クライン様と踊ってたじゃない」
「ああ、あの私が倒れた時ですね……」


 コーラさんに悪気がないのは分かっているけれど、あの時のことは思い出したくなかった。
 今日も婚約者候補のご令嬢たちのお父様お母様に挨拶が終わったら、少し食事や飲み物を頂いてすぐに退散するつもりでいる。

 招待客が入り乱れる広間の中では間違って男性と体がぶつかってしまっても嫌だし、そもそもこういう華やかな場所から遠ざかり過ぎていて、気が引けてしまうのだ。



 ――それに。
 四年前、私が最後に参加した夜会での出来事は、私の人生を変えてしまうほどの大きな事件だった。
 私がシャドラン辺境伯のフランツ様から婚約の申し込みを受けたこと、その後に婚約破棄されたこと。この場にいると、きっと否が応にも思い出してしまう。

 ぼーっと物思いにふけっていると、いつの間にか私の肩に背後から影が差す。


「なんだ、お茶会ごときで疲れ切ったのか?」
「当然ですよ。ジーク様の言葉遣いやマナーも気にしながら、妹を魔の手から守るという高難度ミッショ……ン……」


 何気なく返事をして、途中でふと違和感に気付く。話しかけてきたのは、誰?
 頭だけ動かして肩越しに影の主を見ると、やっぱりアイツ。ラルフ・ヴェルナーだった。


「イリス嬢を、誰の魔の手から守るって?」
「ああぁ、ええっと、一応イリスは一応私の実の妹ですから。危険な目に合わないかどうか心配でたまらなかったんです……!」


 よく分からない、と言った表情のままラルフ様は私の右隣に立ち、広間を見渡す。


「とりあえず、一か月お疲れ様。この短期間でよく頑張ったじゃないか」
「ラルフ様がなぜそんなに上から目線なのかは存じませんが、何とか無事に終えることができて良かったです」


 使用人たちが夜会会場のセッティングをする横で、私たち二人の間にはしばし沈黙が流れる。
(なんでこの人は、いつも私に絡んでくるんだろう。放っておいてくれればいいのに。そこまでしてイリスに近付きたいとか?)


「……実は、ジーク様から手紙を預かった」
「お手紙を? ジーク様からですか?」


 ラルフ様は一通の封筒を私に差し出す。表面には、『マリネットせんせいへ』と書かれていた。


『マリネットせんせい

きょうは、とてもたのしかったです。
ダンスとか いろいろ おしえてくれて
ありがとうございました。

でも、きょうもラルフと けんかして
せんせいが ラルフを つねるのをみたよ。

けんかしたら だめです。
じあい の きもちが だいじです。

なかなおりのために
ふたりで ダンスを してきてください。

また、あした
ジーク・メデルラント』


「嘘でしょ」
 思わずポロリとこぼした感想に、ラルフ様もビクっと反応する。


「ラルフ様も、お手紙読みました?」
「君宛ての手紙が、俺宛てのものと同じ内容だとするならば、用件は分かっている」


 この前の、『手を繋ぐ練習』とやらが終わって油断していた。
 ジーク様はこうして無邪気に、何の悪気もなく、私たちに命令をしてくる御方なのだ。


「罰ゲーム……なんで? お仕事頑張ったのに……」
「おい、だから罰ゲームなんて言うな。失礼だとこの前も言っただろう」
「そうですね。じゃあ、罰ゲームじゃなくて……王様ゲームかな」


 私たちは二人同時に、大きくため息をついた。