「彼との関係を、彼の気持ちを考えたら早めに身を引くべきだったんです。
 私は、結局あの方を潰してしまった。
 彼の可能性を摘み取ってしまった。
 苦しめて、押し付けて……壊してしまったんです」
 
 あんなにも狂おしく愛しいと想っていた彼と離れた今、私の気持ちが重すぎたのだと分かってしまった。


『大好きよ』

(私を見て)

『貴方が好き』

(名前を呼んで)

『……私は、貴方が……』

(抱き締めて)


 どれだけ好きでも、あの方は私を見なかった。
 あの方が頑張っているのを知っているから、私はサポートができたら、と、子爵家領地の改革にも顔を出していた。
 あの方に聞かれたら答えられるように。
 あの方に相談されたら、アドバイスできるように。
 あの方に会えない時は沢山あったから、少しでも力になりたくて。

 でも、それはきっとあの方を追い詰める事でしかなくて。
 私のしていた事は全て、彼に重圧を与えるものでしか無かった。

 こんな「貴方の為」って頼まれてもないのに押し付けがましい想いが愛であるはずがなかった。
 私の気持ちばかりを押し付けて、彼の事を見ていなかった。
 逃げられて当然だった。

 嫌われて当然だったんだ。


 話し終えて一息つくと、対面にいたアイザック様は難しげな顔をしていた。
 途端に私は「やってしまった」と思った。
 一方的に喋って、自分の言えなかったものを吐き出してしまった、と。

 婚約者となった方に、しかも好意を寄せて下さる方に、「今でも私は元婚約者が好きです」なんて、失礼だわ。

 私は人を思いやれない独りよがりな人間だ。
 思わず俯いていると。

「婚約者殿、そちらに行ってもいいかな」

「…えっ、あ、……はい……」

 ゆっくりと立ち上がり、私の隣に腰を下ろした。

「……君を抱き締めても、いい?」

「……っ」

 アイザック様の提案に、恥ずかしさが込み上げてくるけれど、その声が私の心に入り込む。
 すぐに返事ができず、考えていると。

「嫌なら言っていいよ。君の素直な気持ちで答えて」

 素直な、気持ち……。


 誰かに、誰でもいいから、縋りたい。
 でも身代わりなんて失礼だし、できない。

「できません……。あなたを傷付ける……」

「大丈夫、君からされる事に喜びこそすれ傷付きはしないよ」

 本当に?
 アイザック様は優しく微笑む。
 この方はずっと、私を見ていて下さる。

 だから。

「抱き締めて……くれますか……?」

 言い終わらないうちに、背中に腕が回された。
 どれくらいそうしていただろうか。
 回された腕が温かくて、力強くて。
 でも恥ずかしさから顔を上げられず、彼の胸の音を聞いていた。


「辛い事を、話してくれてありがとう」

 鼻をすする音がする。

「君は頑張ったんだね……」

 がん……ばった

「君は彼を想い、自分でできる努力をした。それは並大抵のものではないだろう。沢山我慢もした。
 ……辛かっただろう?」

 辛かった……。


 そう、私は、辛かった。

 彼から見向きもされない現実が苦しかった。
 周囲に嘲笑われても、みっともなくても、彼に縋っていたかった。

「つら、かった……辛かった、辛かったの。苦しかった」

「うん」

「努力しても、何の反応も無いのが悲しかった」

「…うん」

「私を、嫌いなら……教えてほしかった。
 嫌なら、嫌って……言ってほしかった……」

 そうしたら、苦しませずに済んだかもしれない。
 無視しないで、言って、くれたら……。

 お互い、向き合えていたら。
 話し合って円満に解消できたかもしれない。

 私も、彼ばかりで占めるのではなくて、他に目を向けて自分を確立させるべきだった。
 彼が本当に望むことをすべきだったのだ。

「……泣いていいよ」

 柔らかな声が私の心に沁み渡る。
 私の中の淀みを解していく。

「君は、泣いていいんだ」

 言われた途端、涙が溢れだす。
 ずっと、泣きたくて、泣けなくて。
 辛いのに、苦しいのに笑顔でいなきゃいけない事で心は疲弊して。
 自分の感情は何処かに置き去りにされたようだった。
 頼りたい人は頼れない。
 一番、理解してほしい人は他を選んだ。

『君がいい』と、言ってほしかった。

 けれど、そう言わせない空気を作ったのは私だ。
 言っても聞かなかったのも、私。

「彼の言葉を、ちゃんと聞いてたら……」

 独りになりたいと。
 彼の態度を都合よく解釈せずに、本音を聞いていたら。

 今でも彼の隣にいれたのかな…。

「きっと、彼も……君に相応しくなろうと、頑張っていた。子爵家次男が侯爵家の跡取りの婿になるなんて、やっかみや圧力もあっただろう。
 周りが敵だらけに見えても、それでも君を自分からは手放さなかった。
 ただ、努力する方法を間違えたんだ」

 それ、は……。
 その言い方だと、彼は…。

「俺から見た印象だよ。彼は君を嫌っているわけでは無かった。
 ただ、お互い、想いの方向がズレてしまったんだ。
 向き合っていても、君は上を向いていた。彼は下を向いてしまった。どちらが悪いとかじゃないんだ、多分。恋愛は一人でするもんじゃないから。
 だから、自分を責めないで」

 ずっと、抱き締めてくれる力強さが。
 その温もりが、少しずつ私の心に沁みわたる。

 私をありのままに受け入れてくれるアイザック様の背に、私は手を添えた。
 そんな私の頭を優しく大きな手が撫でる。

「君が辛いとき、苦しいときは側にいるから」


 まだあの方への想いがなくなったわけではない。
 けれど、私の心の中の傷付いて泣きじゃくる私を包み込む何かは、確かに小さく、あるものを芽吹かせていた。