ジゼルの元からオルタナの街に戻り、その足で騎士団長の元に向かった。こんな深夜に屋敷を訪ねるのは失礼だということは重々分かってはいたが、一刻も早く伝えたいことがあったからだ。

 何とか屋敷の使用人に頼み込み、応接室で待たせてもらった。ふと、部屋の中にある大きな鏡が目に入り、ジゼルの言葉を思い出して顔が歪む。

「幽霊は、鏡を見ると消滅するだと……?」

 もう、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 とにかく時間が欲しい。彼女を救う手立てを調べる時間が。そしてその間、俺以外の騎士がオルタナの森に入らないように止めておかなければならない。

 俺が森に入るのを諦めたと見れば、我こそは幽霊退治に行こうと考える騎士が出て来るだろう。ジゼルがまた危ない目に合っているかもしれないと心配しながら、書庫に(こも)って調べものなんてできるはずがない。

 しばらくすると、バタバタと大きな足音と共に、扉がバタンと開いた。

「アベル! こんな時間に訪ねて来たということは、幽霊を退治したのか? サファイアが手に入ったのか?!」
「……団長、申し訳ありません。サファイアは手に入りません。今日は、幽霊退治をすぐにでも止めて頂きたいとお願いしに来ました」

 頭を下げた俺に、(いぶか)し気な視線が注がれているのが分かった。

「どうした? もしかしてお前、実はサファイアを手にいれたのに独り占めしたくなったのか? ヘレナと結婚を考えているのだと思っていたんだが。違ったのか?」
「申し訳ありません、全て私の失態です。ヘレナお嬢様にはきっと、他にふさわしい方がいらっしゃいます」
「ヘレナは、サファイアを受け取ることを楽しみにしていたんだぞ。その気持ちを踏みにじるどころか、他の騎士にも幽霊退治をやめさせろとはどういうことだ!」

 その日俺は朝方まで騎士団長の家で言い合いをしていた。結局、俺の粘りに根負けした団長が、幽霊退治を辞めるように騎士団に周知することで決着した。
 ヘレナには改めてお詫びに来ると伝えて屋敷をあとにする頃には、もう東の空が白み始めていた。

「……アベル様!」

 門に手をかけた俺の後ろから、ローブを羽織ったヘレナが駆け寄って来る。

「アベル様、お待ちください! 私、少し貴方の話を聞いてしまったの。ごめんなさい」
「……そうですか。ヘレナ嬢、申し訳ありません。私の行動が貴女に要らぬ期待をさせてしまった。今日はこの時間ですので、改めてお詫びに来ようと思っていました」
「いいえ、別に貴方は私に婚約を申し込んだわけでも、私のことが好きだとも一言も言っていないわ。私が勝手に勘違いして期待してしまっただけなんです。だから気にしないで欲しくて、声をかけました」

 ヘレナの瞳は潤んでいる。眠れなかったのだろうか、目の下にはクマのような影ができていた。

「申し訳ありませんでした。また、改めて伺います」
「いいのです、アベル様。でも、その代わり……一つだけお願いがあるんです。聞いて頂けますか?」
「お願いとは?」

 ヘレナは俺に近付き、上目遣いでじっと見る。

「貴方のことはちゃんと諦めます。だから代わりに、今晩私に時間を頂けないかしら? 夜会のエスコートをお願いしたいのです」
「それは……」
「お願い、一度だけでいいのです。それで私はきっぱりアベル様のことを諦めますから」
「今日は少し調べたいことがあって、時間がないのです。申し訳ないのですが、他のお願いでしたら……」
「あら、それなら今日の日中に調べ物をなさったらどうかしら。お父様が、アベル様は眠れなくて疲れているだろうから、今日の訓練は休むように言っていました。日中は調べものをして、夜は私のエスコート。いかがですか?」

 団長との根競べのあとは、ヘレナとの根競べだ。眠さと疲れでこれ以上戦えないと思った俺は、しぶしぶ彼女の願いを受け入れた。