一枚しか持っていないドレスを着たまま、思い切り湖に飛び込んだ。

(幽霊なのに、ちゃんと水しぶきが上がるのよね)

 普段は夕方近くまで眠っているけど、今日はそういうわけにもいかない。
 昨日アベル様と一緒に過ごしていた時に、とんでもないことを聞かれてしまったからだ。

『――ジゼルは(にお)いを感じるのか?』

 花の香りのことを言っているのならいい。だけどアベル様の表情はとても苦しそうだった。もしかして、私のドレスや体がとても(にお)うと言いたかったのでは? 自分では臭いを感じることはできないから、知らず知らずのうちに悪臭を放っていたのかも。
 私は恥ずかしさのあまり、もう一度湖に頭までぼちゃんと潜った。

 水浴びをして、体を洗って。
 一枚しかないこのライトブルーのドレスも、一緒に洗ってしまおう。

 ドレスを洗ったら、刺繍をしようと思う。
 作った花冠の小花の色に合わせて、草花で染めた刺繍糸を使って。




「アベル様、こんばんは!」
「ジゼル、どうした? すごく息が切れてるけど、大丈夫か?」

 ドレスがなかなか乾かなくて、夕日の当たる山までひとっ走り持って行って乾かしていたのがバレたのだろうか。アベル様は何でもお見通しだ。
 私は自分で刺繍をしたドレスを、その場で一周してアベル様に披露する。笑顔で刺繍を可愛いと褒めてくれたアベル様は、私のことを変わらず愛してくれているかしら。

 貴方が私の運命の人で、間違いないかしら。


「そういえば最近、アベル様以外には誰もここにいらっしゃらないの」
「そうだろうな。みんな君の石投げ攻撃に怖気(おじけ)づいてしまったんだろう」
「ふふ……ねえ、アベル様。今日は、お互いに弱点の披露をするっていうのはどうかしら? 私の嫌いなものを、お伝えしようと思うの」
「いいよ。この前は君の好きなものを聞いたから、嫌いなものも聞かせてくれ」

 アベル様がここに来てくれるようになってから、一か月が経った。

 アベル様は私の(サファイア)を欲しいと仰ったけど、二人で時間を過ごすうちに、私も(サファイア)を捧げたいという気持ちになったから。
 アベル様のことが大好きだと確信したから。

 今日は彼を信じて、私の苦手なものを伝えようと思う。私が(サファイア)を捧げる前の、最後の関門だ。


「じゃあ俺が先に言おうか。俺の嫌いなものは、何を隠そう、酒だ」
「お酒? 騎士の皆様は、みんなで一緒に酒場に行って飲んだりしないのですか?」
「そうなんだ。俺の仲間はみんな酒好きで、浴びるように飲んでも全然酔わない。でも俺は下戸(げこ)なんだ。恥ずかしいからみんなには言えないが」

 アベル様が下戸だなんて。なんだか可愛らしい。
 せっかくこうして秘密を教えてくれたのだから、私も言おう。

 ――私を、消し去る方法を。


「じゃあ次は私ですね」
「そうだな。俺がこんなに恥ずかしい話をしたんだから、ジゼルもちゃんと嫌いなものを言ってくれ」
「分かっていますよ」


(私は、貴方を信じているから。ちゃんと言うわ)

「私が苦手なのは、(かがみ)です」
「鏡? あの、自分の姿を映す鏡?」
「はい。幽霊は、鏡で自分の姿を見ると消滅してしまうのです」


 アベル様が絶句している。
 私を消し去る方法を、突然伝えたのだ。驚くのは当然。

 貴方はこれを知って、私を消す? それとも、私の捧げる(サファイア)を受け入れて私を人間に戻してくれる?


「ここに……この家には、鏡はないんだな? 湖の水面とか、窓のガラスとかは大丈夫なのか?!」
「ええ、それは大丈夫みたいです。私が怖いのは、あのハッキリと自分の姿が映る鏡です。この家にはありません」
「そうか、良かった……」


 アベル様は椅子の背もたれにもたれかかって、天井を仰いだ。

(貴方の気持ちを試すようなことをしてごめんなさい)

 アベル様が私の心配をしてくれている姿を見て嬉しい気持ちになるなんて、私はなんて意地悪なんだろう。
 貴方が本当に私のことを愛してくれているのか、私は試しただけなのだ。

「アベル様。初めにお約束した通り、私の(サファイア)を貴方に捧げます。明日、夏至の夜。もう一度ここにいらっしゃってください」

 そういって私は、アベル様のことをぎゅっと抱き締めた。触れることはできないけれど、私のサファイアのオーラの熱が、貴方に少しでも伝わりますように。