それから俺は、毎晩のようにオルタナの森のあばら家に通った。

 幽霊ジゼルの話を、たくさん聞いた。

 彼女の好きなことは、歌を歌うこと。
 食べ物は食べられないし、お茶も水も飲めないから、いつも俺がお茶を飲んでるのを見ているだけだ。
 その辺にある物には触ることができるが、なぜだか生きているものには触れることができずに体がすり抜けてしまうらしい。

 最近になって、急に彼女の命を狙う者があばら家を訪ねるようになったと言っていた。剣や弓矢を持った屈強な騎士たちが代わる代わる襲って来るので、毎日怖い思いをしていたそうだ。
 このことに関しては俺にも心当たりがあり過ぎて、何も言うことができなかった。

 初めは落ちていた木片に火をつけて騎士たちを脅した。そこで一部の騎士達は恐れをなして引き返す。
 日中誰もいない時を見計らって森に落ちていた石を集め、彼らが落としていった武器を拾い、襲撃に備えたそうだ。


(こんなところでたった一人、怖い思いをして過ごしていたなんて)

 このまま幽霊として過ごすのではなく、生まれ変わるという道はないのだろうか。
 幽霊になったということは、よほど生前この世に思い残すことがあったのだろう。もしも彼女の(サファイア)を俺がもらえば、ジゼルはまた生まれ変わることができるだろうか。

 こんなところで騎士たちの襲撃を恐れて暮らすよりも、新しく生まれ変わって幸せになって欲しい。毎晩彼女と一緒に過ごすうちに情が湧いてしまい、俺は彼女の生まれ変わりと幸せを願うようになっていた。

 ジゼルから(サファイア)を受け取れば、ジゼルにとっても俺にとっても良い結果になるはずだ。
 ジゼルは生まれ変わって、人間として新しい人生を生きる。
 そして俺は、彼女のサファイアを婚約指輪にして、ヘレナ嬢にプロポーズする。

 それでいいじゃないか。
 それじゃダメなのか?



「アベル様!」
「……ヘレナ嬢」

 今日もまた懲りずにオルタナの森へ向かうために馬の準備をしていた俺の前に、憧れの存在であるヘレナ嬢が現れた。

「アベル様。私のために毎晩オルタナの森の幽霊退治に出ていらっしゃると聞きました」
「はい……」

 ヘレナ嬢は目を伏せたまま、しばらく沈黙が続く。

「あの、私」
「どうしました、ヘレナ嬢」
「私のことは、ヘレナとお呼びください。私、アベル様がサファイアを取って来て頂けるのを待っています」
「ヘレナ嬢……いえ、ヘレナ。それはどう言う……」
「言葉の通りです。他の誰でもない、アベル様がサファイアを手にされるのを待っています」

 嬉しい。
 嬉しい……はずだ。

 憧れのヘレナ・ノールズ嬢からの、「待っている」という言葉。毎日の訓練や任務が終わってから、わざわざ森のあばら家に通っているのは何のためだ?
 ヘレナに、プロポーズをするためだ。

 その当のヘレナから、俺からのサファイヤの指輪を待っていると言われたんだ。これは、俺からのプロポーズを待っているという意味じゃないか。

 なぜ、俺の心はこんなに冷えている?

 そして俺は今日も幽霊ジゼルのあばら家に行くため、日が落ちる頃にオルタナの森に入る。ほんのりとサファイヤ色に包まれているその家は、あたりが闇に包まれる時間であっても目印になる。
 まるで、俺を彼女のもとに引き寄せようとするように。

「アベル様、いらっしゃいませ!」

 扉を開けて、満面の笑みの彼女が飛び出してきた。
 何だかいつもと雰囲気が違う。

「あ、頭に……」
「そうなんです、自分で作ってみたの」

 湖のほとりに割いている花を摘んで、花冠にしたらしい。美しい金色の髪の上に、青や白の小花の花冠がちょこんとのっている。

 頬を染めて照れる彼女は何だか可愛らしい。彼女がまだ生きていた頃は、こうして無邪気に花冠を作って、幸せに生きていたのだろうか。

「アベル様、どうかしら」

 不安そうにこっちを見る彼女の顔には、「可愛いと言って!」とハッキリと書いてある。分かりやすい表情に、俺は笑いをこらえきれずにクスクスと笑ってしまった。

「すごく可愛いよ。そうだ、ドレスも花の色に合わせたらいいんじゃないかな。このサファイア色のオーラに良く似合うドレスを着てみたら」
「えっ、そう? ちょっと考えてみます」

 いつものようにテーブルに着くと、彼女がいそいそといつもの木でできたカップを一人分運んで来た。

「はい、どうぞ。今日のお茶は特別なんです」
「特別? いつもの根菜のお茶ではないのか?」
「そうなの。見て!」

 自慢気に彼女がカップの中を指さす。誘われるようにカップの中を覗き込むと、白い塊がカップの中に入っていた。

「これは?」
「しばらく見ていて」

 ずっとその白い塊を見ていると、ゆっくりと塊が開いていく。

「花か……」
「そうなの! これは、お花のお茶なのよ。お湯に入れてしばらく待つと、ゆっくりと花が開くの。素敵でしょう? それに、とっても良い香りがすると思うわ」
「飲むのがもったいないな」

 俺がカップからお茶を飲むのを、頬杖をついて見守るジゼル。胸のあたりから、サファイア色の光が強く漏れ出している。

(もしも彼女が幽霊じゃなかったら……)

 色んな思いが頭をよぎり、俺はカップを置いて首をブンブンと振った。

「どうしました? 美味しくなかった?」
「いや、美味しいし香りもいい。そう言えばジゼルは、匂いは感じるのか?」

 俺の質問に一瞬きょとんとした顔で動きを止め、顔を真っ赤にする。

「私は、臭いは分からないんです……」
「そうか」

 それ以上は何も言えなかった。
 こんなに良い香りも、彼女には分からないのだ。

 やっぱり、彼女は幽霊だ。

 彼女の幸せはどこにあるんだろう。
 早く生まれ変わってと願う気持ちと、ずっとこのまま過ごしたいという気持ちが、俺の心の中で戦っていた。