*



「みんな集まってくれ」

 金井コーチからの集合の合図に、狼栄大学高等学校のバレーボール部員達が整列した。

「今日はみんなに紹介したい人がいるんだ。入って来てくれ」

 莉愛は金井コーチに紹介され、体育館の中に入った。

「失礼します」

 莉愛の姿を確認した部員達がザワついた。


「おい、あれって……」

「犬崎の姫川さんだよな?」

「大地、何か聞いてたか?」

 固まっている大地の耳に、部員達の声は届いていない。

「莉愛……どうして?」

 困惑する大地と視線が交わるが、すぐに前を向いた莉愛は皆に挨拶をした。


「春高予選ではお世話になりました。この度、金井コーチからマネージャーを頼まれ、こちらでお世話になることになりました。姫川莉愛です。よろしくお願いします」

 莉愛が頭を下げると、部員達がガッツポーズをしながら叫んだ。


「マジで!」

「憧れの、女子マネージャー!」

「青春、来たー!」

 嬉しそうにハシャグ部員達。それと言うのも、狼栄大学高等学校は男子校、女子が部活に加わるのは異例中の異例である。そんな中、呆気に取られている大地は、食い入るように莉愛を見つめていた。


 *


「それではスパイク練習始めて下さい」

 莉愛の声で皆がスパイク練習をする中、大地がスパイク練習を躊躇していた。

「大地どうしたの?大丈夫?」

「……ああ」

 不甲斐ない自分を見せたくは無いのだろう。

 分かっている。

 でも、今はそんな事は言っていられないと大地は分かっているはず。

 大地は両足に力を入れスパイクを打ち込むが、ボールに威力が伝わっていない。

 一体何がいけないのか……。

 莉愛は大地の様子を観察しノートにまとめていく。

 踏み出しは悪くない。

 ジャンプ力もある。

 姿勢も悪くない。

 強いて言えば、少し体に力が入りすぎてしまっているのと、タイミングだろうか?

「10分休憩」

 金井コーチの休憩の指示が出た。

 大地に視線を向けると、タオルを頭に掛け、体育館の壁にもたれるように座る大地の姿があった。莉愛はスクイズボトルを手に大地に近づくと、それを手渡した。

「大地、水分補給」

「ああ……ありがとう」

 スクイズボトルを受け取った大地は、莉愛から目を逸らした。情けない自分の姿を見られていることが、耐えられないと言った様子で顔を伏せている。

 何と声を掛けたら良いのか分からない莉愛は、そっと大地から離れると、赤尾が近づいてきた。

「莉愛嬢あれでも大地は一週間前より良くなったんだよ。少し前まで素人かって言うようなスパイク打ってて、俺の方がどうしようかと焦ったよ。ほら、これ見て」

 そう言って、手渡されたのは赤尾のスマホだった。赤尾のスマホを手に再生ボタンを押すと、大地の姿が映し出された。

 その大地の姿に莉愛は絶句する。

 赤尾の言うように、素人のような動きをする大地がそこにはいた。

 スパイクを打つときの姿勢が前のめりになってしまっていて、スパイクを打ち終わると、ネットに引っかかってしまっている。これは素人が、よくやってしまうスパイクの打ち方だ。

 これは……。

「俺も最初は面白半分で、動画を撮ったんだよ。でも、笑い事ではすまなくなって……」

 確かに、これは笑い事ではない。

「赤尾さん、現状の大地の様子は分かりました。以前の調子が良いときの大地の動画はありますか?」

「ああ、えっと……これとかどうかな?」

 動画を見つめ確認するも、以前と今とでは何がどう違うのかよく分からない。

「赤尾さん、今見せてもらった動画、私のスマホに送って下さい」

「莉愛嬢の頼みなら」



 *::*



 次の日の休み時間。

 莉愛は昨日、赤尾に大地の動画を送ってもらってから、何度もその動画を見続けていた。

 うーん?

 見る限り、そんなに悪いところがあるようには思えない。失敗しないよう、慎重になるあまり、体が強ばっている様には見えるが……。それが原因では無さそうだ。

 スランプ……。

 後は精神的なことが原因なのだろうか?

 特に最近変わったことは無かったと言っていたが、どうなのだろう?

 大地は必死にスランプから抜け出そうと、毎日もがいている様だった。それが精神的に自分を追い詰めてしまっているのでは無いのだろうか?毎日遅くまで残って練習もしていると聞いた。無理な練習量を続けていれば体を壊してしまう。今は、大地のストイックさが裏目に出てしまっている気がした。


「あれー?莉愛何見てるの?」

「随分真剣に動画見てると思ったら、大地くんの動画?」


 悩む莉愛に話しかけてきたのは、理花と美奈だった。

「うん。大地の動画なんだけど、大地スランプらしくて見ているこっちが辛くなる」

 沈んだ莉愛の表情に、理花と美奈も眉を寄せた。

「ほら、莉愛がそんな顔をしていたら、大地くんもっとスランプにはまっちゃうよ」

「スランプから抜け出すきっかけなんて、案外簡単な事だったりするのかもしれないよ」

「そうそう、朝の牛乳を飲み忘れてるとかさ」

 簡単なきっかけか……。


「うん。そうだね」




 *::*



 放課後狼栄大学高等学校にやって来た莉愛は、動画と大地を見比べていた。

 うーん。

 何が以前とは違うのかな?

 その時「ダンッ」と床を蹴る大地の姿を見ていた莉愛は、ハッとしてから、今の大地と、スマホの中の大地を交互に見た。




 もしかして……。

 スランプのきっかけ分かったかも!



 理花と美奈の言葉が頭の中に響いた。

 『スランプから抜け出すきっかけなんて、案外簡単な事かもしれないよ』

 『朝の牛乳飲み忘れてるとかさ』

 ホントにそうかもしれない。
 


「大地こっちに来てくれる?」

「……ん?何?」


 大地が目の前に来るのを待ってから、莉愛はその胸の中に飛び込み、抱きついた。まさか莉愛が抱きついてくるとは、思ってもみなかった大地がたじろいでいると、莉愛が背中に手を回し優しく撫でてきた。

「大地、力を抜いて大丈夫だよ。以前のイメージを大切にして」

 莉愛は大地からそっと離れると、大地の目を手で覆った。

「目を閉じて、ゆっくり深呼吸……以前の自分をイメージしてみて。ジャンプしてスパイク打って着地して、どんな感じだった?ボールが大地の手から離れたとき、どんな感じだったか思い出せる?ボールが手に当たる感触覚えてる?大地の力がボールに伝わったときどんな音がした?」

 莉愛がそう聞くと、深呼吸した大地がゆっくりとしゃべり出した。

「ボールに合わせてジャンプして、目の前にボールが来る。手を伸ばすとボールが手に吸い付くみたいにしっくりくるんだ。叩き付ける瞬間なのに変だよな?それから全ての力がボールに伝わって、床に叩き付けられたとき、すっげー気持ちいい」

 莉愛は大地が話し終わると、目の上にのせていた手をどけた。大地がゆっくりと瞼を開くのを待ってから莉愛は微笑んだ。

「そうだね。スパイクが決まると気持ちいいよね。イメージが湧いたら、一緒にやってみようか。私がトスを上げるから大地はスパイク打ってみて。心配しなくても大丈夫だよ。私を信じて」

「……わかった」


 莉愛と大地がコートに立つと、赤尾がボール出しを手伝ってくれることとなった。

「大地いくよ!」

 莉愛が赤尾からのボールをトスで上げ、大地がスパイクする。

「バシンッ」

 あたったが、やはりボールに大地の力が伝わっていない様で、以前の脅威とも言える威力はない。そんなボールを見つめ大地の顔が悔しそうに歪む。

「大地、もう一度いくよ。今度踏み出す時は、私の合図を待ってから踏み出してみて」

 頷く大地に、もう一度莉愛がトスを上げる。タイミングを見て莉愛が大地に合図を送った。

「左!」

 莉愛の合図で踏み込んだ大地が、大きくジャンプすると……。


「ズドンッ」


 体育館に響き渡る、ボールの音。




「「「おおーー!!」」」




 大地の様子を心配し、見守っていた部員達から、驚きの声が上がる。


「今の感覚を忘れないうちに、大地もう一度」

 莉愛がもう一度トスを上げ、タイミングを計ると叫んだ。

「左!」

 すると……。

「ズドンッ」

 また、大地の重たいスパイクが決まった。

「おお、大地さん復活!」

「狼栄のスーパーエース」

「久しぶりに見ると、威力えげつな」

 みんなが嬉しそうに、大地に向かってガッツポーズを見せると、大地もそれに応える。その様子を微笑ましく見つめる莉愛の横に、赤尾が近づいてきた。

「莉愛嬢『左』って何?大地はどうしてスランプから抜け出せたの?」

「ああ、それがですね。大地の踏み込みが、いつもと逆だったんですよ」

「へ……?それだけ?」

「そう、それだけです」

 話しながら、苦笑する莉愛。

「スランプから抜け出すきっかけは案外簡単なことかもと、友達に言われたんです。それから動画を見つづけて、思ったんです。もしかしてって……。後は体の力を抜くための、お呪いをすれば、バッチリです」

「お呪いって、さっきの抱きつくやつ?」

 そうだった。

 皆の前で、大地に抱きついちゃったんだ。

 今更、顔を真っ赤に染める莉愛を見た赤尾が笑った。


 それから数時間、スランプから抜け出した大地はすごかった。赤尾が上げるスパイクを次々に決めていく。狼栄のスーパーエースの復活に皆が笑顔になったのだった。


 *


 その日の帰り道、莉愛と大地は二人並んで歩いていた。大地はスランプから抜け出せた喜びに浸っているのか、時々自分の手を見ては、グーパーと手を握ったり開いたりを繰り替えしている。

 やっと、自分のプレイが出来るようになったんだもん。

 嬉しいよね。

 莉愛も大地の大きな手を見つめながら微笑んでいると、大地が急に立ち止り真剣な顔を向けてきた。

「莉愛、ありがとうな」

「ん?どうしたの?」

「お礼が言いたかったんだ」

「たいしたことは、してないけど……」

「いや、そんなことは無い。本当に助かった」

 大地はそう言うと、莉愛の肩に頭を乗せた。毎日切羽詰まっていたのだろう。

 やっとスランプから抜け出せて、肩の力が抜けたのかな?

 莉愛は肩に乗せられた大地の頭にそっと手を伸ばし、優しく撫でた。

「本当にありがとう。俺……もうバレーが出来ないのかもって、マジで怖かった」

 いつも自信に満ちあふれている大地が、そんな風に思っていたなんて……。

 莉愛は肩に乗せられた大地の頭をそっと撫でた。

「大地良かったね。大地の役に立てて嬉しいよ」

「莉愛が俺の彼女で良かった」

 顔を上げた大地が、にっこりと笑った。その顔が、いつもより幼く見えて、莉愛の胸がキュンと高鳴った。

 かっ……かわいい。

 その顔やばい。

 いつもキリッとしている、大地のふにゃ顔、ホントのにやばい。

 可愛すぎ。

 心の中で悶絶していると……。

「莉愛、キスしたい。ダメ?」

 可愛く首を傾げる大地に、莉愛はノックアウト寸前だった。

 やだ……なに、何なのこの可愛い感じは、心臓が痛いんですけど!

「だっ……ダメでは無いです」

 莉愛の答えを聞いた大地が、親指の腹で莉愛の唇に触れる。莉愛の柔らかい唇を確かめているのか、何度か唇の上を行き来させると、顔を近づけてきた。

 莉愛がそっと目を閉じると、唇がふれ合う。

「莉愛、大好き」

 閉じていた目を開けると、破顔した大地の顔が目の前にあった。

 
 うぐっ……可愛いがすぎる!


 莉愛は大地の頭を抱え込むようにし抱き寄せ、唇に触れるだけのキスをした。

「私も、大地が大好き」

 莉愛の行動に大地が驚き目を見開いたが、すぐに瞳を細めて笑ったのだった。