騎士たちの先導で応接室に赴くと、そこには懐かしい人がいた。

 金色に輝く美しい髪の毛に、宝石みたいな緑色の瞳。年齢を重ねてもちっとも衰えない美しさで、彼女はソファに座っている――――元翠玉宮の妃、エスメラルダ様だ。


「ご無沙汰しております、ミーナ様」


 エスメラルダ様は穏やかに目を細め、恭しく礼をする。


「本当に、お久しぶりです。最後にお会いしてから三年も経つなんて、なんだか嘘みたいですね」


 言いながら、わたしはそっと微笑む。目を瞑れば、彼女と過ごした日々がまるで昨日のことのように思い出された。


「ええ。私も夫と同じことを話しておりました。初めてここに来た頃は、まさかこんな日が来るとは思っておりませんでしたが」


 そう言ってエスメラルダ様は嬉しそうに目を細める。


 アーネスト様が皇帝に即位して十三年。
 あれからわたしは、彼との間に六人の子を設けた。

 初めての妊娠が分かったのは、アーネスト様と二人きりの結婚式を上げて、ひと月後のこと。生まれてきたのは男の子と女の子の双子で、今では二人とも十一歳だ。

 子育てについて、エスメラルダ様には随分助けられた。わたしには家族との記憶も無ければ、幼少期に教育を施されたこともない。貴族の子女がどのように育てられるのか、母としてどう接すれば良いのか等、色々と教えていただいたのだ。


(そんな彼女に、まさかこんな言葉を掛けられる日が来るなんて)


 物凄く、物凄く感慨深い。わたしはゆっくりと瞳を開けた。


「遅くなりましたが――――妊娠おめでとうございます、エスメラルダ様」


 心からの祝福の言葉を贈り、わたしは微笑む。


「――――――ありがとうございます、ミーナ様」


 そう言ってエスメラルダ様は涙ぐんだ。幸せそうな表情。こちらまで温かな気持ちになってくる。
 エスメラルダ様は今日、第一子妊娠の報告をするため、わたしに会いに来てくださった。


 彼女が後宮を去ったのは今から三年前。

 当時、後宮存続の必要性が問われ始めていた。アーネスト様の実子がたくさん生まれ、皇族の血が途絶える可能性が格段に減ったからだ。

 そんな中、エスメラルダ様のお父様が治める領地――公爵領が隣国から攻め入られた。公爵領は我が国にとって重要な肥沃の地。

 アーネスト様はすぐに兵を派遣した。その中に、エスメラルダ様の騎士――コルウス様の姿があった。
 コルウス様はカミラの一件があった後、城の騎士達と一緒に訓練を受けるようになった。これから先何があっても、エスメラルダ様を守り抜けるように――――アーネスト様がそう勧めたのである。

 彼は剣の実力もさることながら、判断力と兵法に優れていた。実戦における彼の功績はとても大きい。我が国の損失を最小限に抑えた上、短期間で隣国の兵を一掃することに成功したのである。

 コルウス様には爵位に加え、アーネスト様から直々に褒美を与えられることになった。


『俺の持っているものなら何でも――――ただし、本当に欲しいものを口にしなさい』


 それが、アーネスト様が提示した、唯一の条件だった。


「コルウス様も喜んでいらっしゃるでしょう?」


 尋ねながら、わたしは微笑む。
 コルウス様が望むものなんて一つしかない。

 かくして、エスメラルダ様とコルウス様は結ばれたのだった。


「もちろん。本当に、陛下にはなんとお礼を申し上げたら良いか」


 そう言ってエスメラルダ様は深々と頭を下げる。わたしは小さく首を横に振った。

 あれはエスメラルダ様を契約妃から解放する、またとない機会だった。世論が後宮の解体に傾いていた上、コルウス様の功績による下賜という大義名分も立つ。


(唯一の心配は、エスメラルダ様の矜持を傷つけないかということだったのだけど)


 こちらの心配を余所に、エスメラルダ様は本当に喜んでくれた。

 エスメラルダ様が後宮を去ったことで、我が国の後宮は解体されることになり。
 わたしは皇妃から皇后になった。

 その間、アーネスト様が新しい妃を勧められたことは一度や二度じゃない。今でも側妃を、との声が重臣達から度々上がっている。
 けれど、アーネスト様は一度も、それらの提案に頷かなかった。


 ロキは今でもアーネスト様の側近として、彼を支え続けてくれている。
 後宮が解体されたこと、わたしにも公務が割り振られるようになってきたことで、彼と接する機会は以前より格段に増えている。

 けれど、アーネスト様はそのことがあまりお気に召さないらしい。おまけに長女――惣領姫がロキを大層気に入っているから、気が気じゃないようだ。


(以前ロキは『わたしとアーネスト様の子供が生まれたら、その子の騎士にして欲しい』なんて言っていたけど)


 あの様子じゃ、とても認められそうにない。第一、アーネスト様にとって、ロキはなくてはならない存在だ。双方にとって、今の形が一番幸せなのだと思う。


(ロキにも久々に会いたいなぁ)


 そんなことを考えていると、エスメラルダ様がそっと身を乗り出した。


「ところで、陛下が今度、新たな事業を始めるそうですね? なんでも、子どもたちのための事業だとか」

「……! ええ。実は、もう何年も前から準備をしていて。今も、とても楽しそうに準備を進めているんですよ」


 答えつつ、わたしも思わず身を乗り出す。

 アーネスト様は今、国内の各地に、身寄りのない子どもたちのための施設を作っている。その第一号が、わたしと彼が初めて出会った、あの教会だ。

 子どもたちは、引き取り手が現れるのを待ちながら、ある程度大きくなるまで施設で育てられる。その後は城の下働きや公共事業の仕事を紹介をして、自分の力で生きていけるよう、世話をしていくんだそうだ。親が貧しく、食べるに困る子どもたちの世話も、施設が一手に引き受けるのだという。


『いつか、ミーナやロキみたいにお腹を空かせた子どもが、一人もいなくなる国にしたい』


 それこそが、アーネスト様の仰っていた成し遂げたいこと――――彼の願いだった。


「ミーナ様のおかげですわね」


 エスメラルダ様の言葉に、わたしはふと顔を上げる。彼女はまだ膨らんでいないお腹を撫でながら、穏やかな笑みを浮かべた。


「身分や育ちに関係なく、皆が幸せを求められる――――そんな国になったのは、ミーナ様のおかげですわ」

「そう……でしょうか?」

「もちろん。本当に、我が国の今後が楽しみですわ」


 平民出身の后だから――――そんな后を愛した皇帝だからできることがある。
 そう言ってエスメラルダ様は満面の笑みを浮かべた。




(幸せだなぁ)


 心の中で呟きつつ、断頭台に立ったあの日のことを思い出す。

 あの時は本当に、こんな日が来るなんて思っていなかった。わたしの――アーネスト様の人生は終わったのだと、絶望に打ちひしがれていたことが嘘のようだ。


「一体、何を考えているの?」


 アーネスト様がそう問い掛ける。嬉しそうな笑顔。見ているこちらまで温かい気分になる。


「――――多分、アーネスト様と同じことです」


 言えば、アーネスト様は目を細め、わたしのことを抱き締めた。そのまま鼻の頭を擦りつけて、ほんの少しだけ首を傾げる。


「俺のことが好きだって?」

「そうですよ。わたしはアーネスト様が大好きです」


 答えながら、満面の笑みを浮かべる。

 最近は躊躇いなく、アーネスト様への想いを口にできるようになった。愛情を乞われた位じゃ動揺しない。その程度には、わたしも成長している。


(紛うことなき本心だし)


 やられっぱなしだった昔のわたしとは違う。へへ、と笑いながら、わたしはアーネスト様の瞳を覗き込んだ。


「俺は愛してるよ?」


 大好きじゃ足りない――――そう言ってアーネスト様は、わたしの唇を塞いだ。


(あぁ……もう!)


 それでも結局、アーネスト様には敵いっこない。毎日毎日ドキドキさせられて、これでもかってぐらい幸せを貰っている。


「ミーナ」


 アーネスト様がわたしを呼ぶ。何度も何度も、愛し気に。

 ここにはもう、わたし以外の妃はいない。名実ともに、わたしはアーネスト様の唯一の后になった。
 彼と新たに結んだ契約は、生涯解消されることはないものだ。他の誰にも譲る気はない。


「――――これからも、ずっと一緒に居てください」


 誓いの言葉を改めて口にし、わたし達は微笑み合うのだった。