わたしは急いで金剛宮に戻った。金剛宮にはロキ直属の部下がいる。彼等なら詳しい事情を知っているのではないかと、そう思ったのだ。


「詳しい事情は我々もまだ――――ただ、ロキ様が消息を絶たれたのは三日前とのこと。報告が帝都まで届くのに時間が掛かったようで……」

「そんな……」


 けれどそんなわたしのあては、呆気なく外れてしまった。
 ロキが王都を発って今日で八日目。救助が遅れれば遅れるほど、助かる確率が低くなってしまう。


(今から救助に向かうのに三日以上掛かるってこと?)


 居ても立っても居られなかった。


「誰か……誰かわたしを内廷に! 陛下にお取次ぎを」


 胸がバクバクと鳴り響く。


(アーネスト様に会いたい)


 アーネスト様ならきっと、詳しい情報をご存じの筈だ。ロキを助けるために奔走してくださるに違いない。


「ミーナ様、どうか落ち着いてください」


 金髪の騎士がそう言ってわたしを宥める。わたしは首を横に振った。


(ロキ……ロキを助けなきゃ)


 わたしにできることなんて何も無い。そんなことは自分が一番よく分かってる。
 だけど、じっとしてなんていられなかった。


(あの時ロキは、何処に行くって言ってた?)


 薄れかけた記憶を必死に手繰り寄せる。
 セザーリン地方――――帝国の東部。国境に面したその地へ視察に行くのだと、彼は言っていた。何のために行くのかは教えてくれなかったけれど、アーネスト様からの命令であることは間違いない。


(まさか……)


 もしもロキを襲ったのが、アーネスト様の命を狙う人物と同じだとしたら――――その人物を探るためにセザーリン地方へ向かっていたのだとしたら――――そう思うと身の毛がよだつ。


「わっ……わたしもセザーリン地方に行きますっ! ロキを探しに行かなくちゃ」


 恐怖で身体がガクガクと震える。
 全然、終わってなんていなかった。アーネスト様の命を狙う犯人は、今でも城内に潜んでいる。わたしの知らない間に、もうすぐそこまで迫っていたんだ。


(知らなかった)


 わたしが……わたしだけが、アーネスト様の身に危険が迫っていることに気づいていなかった。彼を守ると言いながら、わたしだけが何も、何一つ出来ていない。


「ミーナ様はそれ程までに、ロキ様のことを」


 カミラがポツリとそう呟く。
 そんなの、当たり前だ。だってロキは、わたしの同志だもの。アーネスト様に拾われた者同士、アーネスト様をお守りするんだって、そう誓ったんだもの。


(わたしがロキを心配しないで、誰がするの?)

「落ち着いて、ミーナ」


 その瞬間、これまで必死に堪えていた涙が零れ落ちた。振り向かなくても、それが誰かなんてすぐに分かる。


「アッ……アーネスト様!」


 思わず縋りつけば、彼はわたしの背中をポンポンと撫でた。


「来て良かった。ミーナがきっと心配していると思ったんだ」


 そう言ってアーネスト様は困ったように笑う。


「一旦部屋に戻ろう。その方が落ち着いて話ができる」


 アーネスト様の提案に、わたしは小さく頷く。胸の動悸が収まらなかった。



「アーネスト様、ロキは無事なのでしょうか⁉」


 部屋に戻るなり、アーネスト様に詰め寄る。


「それは……俺の口からは何とも言えない」


 アーネスト様はそう言って、わたしのことをギュッと抱き締めた。涙がポロポロと零れ落ちる。

 怖くて怖くて堪らなかった。今のわたしはアーネスト様の鼓動を感じていなければ、息もまともにできやしない。地面が唐突に無くなったかのような、そんな心地がした。


「ロキはセザーリン地方に一体何をしに行ったんですか? アーネスト様の命に関わることなんでしょう?」


 問い掛けても、アーネスト様は何も答えてくれない。カミラがティーセットを運ぶ微かな音が、静かな部屋に木霊する。頭の中がグチャグチャで、今にもおかしくなりそうだった。


「教えてくれないなら……わたしもセザーリン地方に向かいます。どうしてロキが襲われたのか――――その犯人が誰なのか、確かめないと」

「ミーナ、それは許可できないよ」


 取り乱したわたしに向け、アーネスト様は淡々と答える。


「どうしてですか? だって! だってわたしは……わたしだってアーネスト様を守りたい! あなたを脅かす理由がそこにあるのなら、わたしが行かなきゃならないんです」

「落ち着いて。……一旦お茶でも飲もう」


 アーネスト様がカミラを呼ぶ。涙でグチャグチャになったわたしを、彼は優しく抱き寄せた。


「ミーナ、俺は大丈夫だから」


 ポンポンと背中を撫でつつ、アーネスト様が肩口に顔を埋める。


(全然、全然大丈夫じゃない)


 もしもアーネスト様が居なくなったら――――わたしは間違いなく生きていけない。彼がこの世から居なくなる想像をするだけで、心臓が止まってしまいそうだ。
 アーネスト様はそのまま何も言わず、わたしを抱き締め続けた。

 ほんの少しだけ顔を上げれば、お茶の良い香りが鼻腔を擽る。どこか心が穏やかになる香りだ。


(アーネスト様の仰る通り、落ち着かないと)


 侍女達にも、みっともないところを見せてしまった。エスメラルダ様にあんなことをお願いしたばかりだというのに、意志薄弱にも程がある。


「ありがとう、カミラ――――」


 けれどその瞬間、わたしは己の目を疑った。

 カミラがアーネスト様に向かって、鋭く尖った刃を振り下ろしている。刹那のような一瞬の出来事。けれど、彼女の瞳に映し出された黒く燃えるような殺意がハッキリ見える。


(アーネスト様を守らなきゃ)


 声を上げる暇なんてない。アーネスト様の腕をグイッと引き、彼の体勢を大きく崩す。そのまま彼がいた位置に己の身を滑らせると、わたしはギュッと目を瞑った。


「随分と物騒なものを持っていますね」


 その時、アーネスト様のものではない、男性の声が室内に響く。


「なっ……!」


 痛みの代わりに、カミラの呻き声が聞こえ、恐る恐る目を開ける。

 そこには、先程わたしを宥めてくれた金髪の騎士がいた。
 男性はカミラのことを後から羽交い絞めにすると、短剣を持っていた方の手をギリリと強くねじ伏せる。


「――――思ったよりも時間が掛かったな」


 アーネスト様はふぅ、とため息を吐くと、わたしの手を引き、落ち着き払った様子でソファから離れた。


「そうですね。想定よりもずっと慎重でした」


 騎士が言う。
 カミラは駆けつけた他の騎士達に手足を縛り付けられた。唇がワナワナ震え、顔が真っ青に染まっている。


「アーネスト様、これは一体……」


 尋ねながら、わたしは目を丸くする。


「一つずつ、順を追って話すよ」


 アーネスト様はわたしを見つめると、繋がれたままの手のひらを強く握り直した。