ロキを見送った後、先程とは別の使者がわたしを待っていた。


「陛下から、妃殿下へのお手紙をお預かりしております」


 何だろうと思いつつ、促されるままに中身を読む。
 手紙には『この後一緒にお茶をしよう』と、そう書かれてあった。


「陛下の執務室へご案内いたします」


 予め手紙の内容を聞き及んでいたのだろう、使者が恭しく頭を垂れる。またとない機会だし、喜んで付き従った。
 とはいえ、アーネスト様の執務室まで大勢で押し寄せるわけにはいかない。侍女はカミラだけを残し、先に帰すことになった。


(わたしから離れて、羽目を外さないと良いんだけど)


 娯楽の少ない後宮と比べ、内廷は誘惑――主に男性関係――が多い。
 後宮のものは、宮女に至るまで全て、アーネスト様のために存在しているので、その辺を弁えた行動を取ってくれると信じたい。


「失礼。皇妃ミーナ様でいらっしゃいますね?」


 そんなことを考えていると、一人の男性から呼び止められた。先導の文官や騎士達が止めなかったあたり、彼等よりもずっと上役なのだろう。ゆっくりと足を止め、男性のことを見上げる。


「如何にも――こちらの女性は皇妃ミーナ様でいらっしゃいますが、あなたは?」


 わたしの代わりにカミラが尋ねる。


「あぁ……急にお声掛けして申し訳ございません。私、クォンツと申します。陛下の下、外交の長を務めております。以後、お見知りおきを」


 男性はそう言って、ニッと目を細めた。
 クォンツは年の頃四十ぐらいの、でっぷりしたお腹が特徴的な男性だった。一見人懐っこいものの、瞳の奥にほの黒い何かが見え隠れする。


(外交の長というからには、先の夜会にも参加していたんだろうなぁ)


 だけど、彼の顔に見覚えはない。クォンツなんて特徴的な名前、聞いた覚えがなかった。恐らく彼はわたしに興味がなかったか、挨拶する価値もないと判断したのだと思う。


(そんな人が、わたしに何の用だろう?)


 感情をできるだけ表に出さぬよう注意しつつ、一歩前へと歩み出る。カミラは小さくお辞儀をしつつ、わたしの後ろへと下がった。


「して、ご用向きは? わたしは陛下とのお約束がございますので――――」

「まぁまぁ、そう仰らず。なぁに、そんなに長くは取らせませんよ。それにこれは、陛下にも大きく関わることなのです」


 押しの強い物言いをし、クォンツはニコニコと揉み手をする。何だかすごく嫌な感じだ。
 けれど、相手はアーネスト様の重臣。会話を拒否出来る相手でもないから、仕方なしに先を促す。
 すると、クォンツは徐に口を開いた。


「妃殿下は、陛下から蒼玉宮の――新しい妃について、聞き及んでいらっしゃいますか?」


 その瞬間、心臓がドクンと大きく跳ねる。クォンツはニヤリと微笑み、そっとわたしの顔を覗き込んだ。


「いやあ、実は私にはちょうど、年頃の娘がおりましてね? おっとりとした――――そう、丁度ミーナ様のような雰囲気の娘なのですよ。きっと陛下もお気に召すと思い、新しい妃にと頻りにお薦めしているのです。
ですが、どういうわけか、中々首を縦に振ってくださらない。恐らくですが、既に入内している妃方を慮っていらっしゃるのでしょうねぇ……陛下はお優しい方ですから。まだまだお若いですし、きっと本音では新しい妃を迎えたいと思っておいででしょうに――――――いやいや、お気の毒なことです」


 一気にそう捲し立て、クォンツは大袈裟にため息を吐く。


「そこでです。ここは妃殿下から一つ、陛下へご進言いただけないでしょうか? 私の娘を新しい妃に迎えるべきだ、と」


 クォンツはそう言って、満面の笑みを浮かべた。


(この人の娘を、新しい妃に?)


 膝がガクガク震える。平静を装いつつ、わたしは静かに目を伏せた。


「寵妃であるミーナ様が頼めば、陛下もきっと、考えをお変えになるはずです。私の娘を妃に迎えることは、私という後ろ盾を得ること。即位間もなく、不安の渦中にいらっしゃるであろう陛下にとって、これ程力強いことはございません。
それに……ミーナ様とて今の状況は心苦しいでしょう? いや、分かりますよ。世継ぎを期待されることは、それはそれは重いプレッシャーでございましょう。入内から半年以上も身籠っていらっしゃいませんし……ねぇ?」

「いえ……わたしは、そんな」


 答えつつ、唇を引き結ぶ。

 そもそもわたしは契約妃であって、アーネスト様との間に子ができることはない。だから、クォンツの言うようなプレッシャーなど感じようがないのだ。だけど――――。


「なんと! 世継ぎのプレッシャーを感じていらっしゃらないとは! 妃殿下は我が国の未来を軽んじていらっしゃるのでしょうか?」

「いいえ。そのようなつもりはございません」


 拳を握り、クォンツを真っ直ぐに見つめる。


(悔しい)


 自分が契約妃であることが――――わたしがアーネスト様の子を産みますと言えないことが――――心から苦しい。


「まさかとは思いますが、妃ともあろう御方が『陛下を独り占めしたい』などと愚かな想いを抱いてはいらっしゃいませんよね?」


 その時、まるでわたしの心情を読んだかのように、クォンツは邪悪な笑みを浮かべた。


「いやぁ、私としたことが失敬失敬! そんなこと、ある筈がございませんよねぇ? 皇族が陛下一人というこの状況下で、妃の数を減らすメリットなど何一つございませんのに! 私利私欲を優先させるなんて、そんな愚かなこと……」

「私利私欲に塗れているのはおまえだろう」


 その瞬間、涙が零れ落ちそうになった。大きな手のひらが、わたしのことをギュッと抱き寄せる。全てを包み込まれる心地。わたしはゆっくりと振り返った。


「へっ……陛下…………」

「良い度胸だな、クォンツ。俺との約束があると知りながら、ミーナを呼び止めるとは……」


 アーネスト様はハッキリと、不快感を露にしている。クォンツは見るからに青ざめ、ダラダラと油汗をかいていた。

 二人のことを交互に眺めつつ、わたしはそっと胸を押さえる。動悸が中々収まらない。アーネスト様はわたしを庇うようにして、彼の背後へと隠した。


「違うのです、陛下! 私は国の未来を思えばこそ、今、妃殿下にお話をせねばと思いまして――――」

「おまえの無駄話なら、俺が既に聞いた。ミーナの耳に入れるべきことは何もない」


 取り付く島もない冷たい雰囲気。アーネスト様は踵を返し、これ以上クォンツの話を聞く気はないと示した。


「しっ、しかしながら陛下! このままでは皇族が滅んでしまう可能性も十分にございます! 皇族が途絶えることは、国が滅びること! 私は陛下のためを思って……!」

「俺の即位から一年も経たぬというのにそのような――――まるで貴様自身が皇族の滅亡を望んでいるような口ぶりだな?」


 その瞬間、騎士達が静かにクォンツを取り囲む。アーネスト様の覇気が、ビリビリと身体を震わせる。クォンツは首を大きく横に振りながら、両拳をギュッと握った。


「ちっ……ちが…………!」

「違うなら、二度とそのような戯言を口にするな」


 アーネスト様はそう言って、わたしの手を強く引く。胸がザワザワと音を立て、落ち着かなかった。