「君に俺の妃になって欲しいんだ」


 あまりにも予想外のセリフ。アーネスト様は未だわたしの手を握り、真っ直ぐわたしのことを見つめている。


「妃って……」

「うん。具体的に言えば、君にはこの金剛宮の主になって欲しいんだ」


 ニコリと微笑みながら、アーネスト様は言う。


 この後宮には四つの宮殿がある。
 翠玉宮、紅玉宮、蒼玉宮、そして金剛宮だ。


 前回の人生で、アーネスト様には三人のお妃様がいた。お妃様方は金剛宮を除いた宮殿に一人ずつ住んでいらっしゃる。皆、貴族出身の御令嬢だ。

 昔はわが国でも、重婚は認められていなかった。だけど、皇族の数が極端に減り、お世継ぎが生まれなくなって以降、東方の文化を参考にこの後宮が作られた。


(わたしが宮殿の主の一人になる……?)


 およそ現実的ではない。わたしは目を瞬いた。


「俺が殺されたのは後宮内――――金剛宮の中だ。犯人は後宮の人間か、ここに自由に出入りができる人間である可能性が高い。だから君には、ここの主になって、真犯人を見つけてほしい」

「でっ……ですが、わたしは平民出身の宮女ですし…………」

「妃になるのに身分は関係ないよ。知ってるだろう? 貴族だろうが宮女だろうが、皇帝に気に入られれば妃に取り立てられる。それが後宮の習わしだ。
それに、後宮内での序列のことも、君は気にする必要ない。この場所――――この国の妃に今、一番求められているものはお世継ぎだ。『俺が寵愛している』と言い張れば、それで済む。どこからも文句は出ないし、俺が言わせない」


 アーネスト様はそう言って微笑んだ。穏やかながら、押しが強い。アーネスト様の命令に背ける立場に無いことは分かっているけど、心情は複雑だった。

 わたしにとってアーネスト様はただの雇い主じゃない。
 幼い頃、わたしをどん底から救ってくれたのは、他でもない――――アーネスト様だ。生きる場所を、名前を与えてくれた彼は、わたしにとって特別な存在だった。

 アーネスト様の力になれる――――それはわたしにとって、この上ない喜びだ。絶対に真犯人を見つけ出し、二度目の人生ではアーネスト様を救いたい。心からそう思っている。だけど――――。


「それにね、俺はしばらく子を作る気はないんだ」


 アーネスト様はそう言った。困ったように微笑みながら、小さく首を傾げている。


「だけど、後宮に行かないと周りが色々と煩いんだ。早く世継ぎが生まれないと、皇族の血が途絶えるからね。実際、俺があのまま死んでいたら、皇族は滅んでいた。だから、彼等の言い分も分からなくはない。
だけど、俺としては今は政務に集中したい。即位したばかりで、国は不安定だ。取り組まなければならないことも、沢山ある。
それに、妃たちのギスギスした空気も好きじゃない。行けば気疲れすると分かっているから、足がどうしても向かないんだ。
だから、金剛宮に君がいると助かる。捜査の進捗確認のためだけれど、表向き妃の元に通っていると思わせることが出来る。君も、宮女の身分では他の妃達の動向を探るのも難しいだろうから一石二鳥だろう? もちろん、妃としての贅沢な生活は約束する。いわゆる契約妃って奴だね。
あっ……それとも、誰か想い人がいる? だから気乗りしないとか……」

「いえ、そんなのいません! いませんけど……」

「だったら決まりだ。君は明日、俺の即位と同時に妃になる。いいね?」


 アーネスト様の問い掛けに、わたしはコクリと頷く。心臓がドキドキ鳴り響いた。


(こんなことがあって良いのだろうか?)


 形だけとはいえ、想い人の妃になる――――そんなの、想像したことも無かった。彼のために働けるだけで、十分すぎるぐらい幸せだと思っていたのに。


(アーネスト様は当然、わたしのことなんて覚えてないだろうけど)


 そう思っていると、ポン、とアーネスト様の手のひらがわたしの頭を撫でた。幼い頃と変わらぬ温もり。心が甘く疼く。


「君の名前は?」

「――――――ミーナです」


 やっぱり全く覚えてないか――――少しばかりの落胆を覚えつつ、わたしは彼が付けてくれた名を告げる。


「ミーナか――――――うん、良い名前だね」


 アーネスト様はそう言って、楽しそうに笑っている。わたしにこの名前を授けてくれた日と同じ、屈託のない笑顔だった。


(わたしはこの笑顔を守りたい)


 もう二度と、アーネスト様をあんな風に死なせたくない。彼の未来を――――この国を守りたい。そう、心の底から思った。


「よろしくね、ミーナ」


 アーネスト様がそう呼び掛ける。わたしは力強く「はい!」と、そう答えるのだった。