アーネスト様に連れられ、わたしはいつの間にか広間を後にしていた。騎士達が数人、慌てた様子で後を追ってくる。けれど彼等はアーネスト様を止めるでも、距離を詰めるでもない。護衛要員なのだろう。


「アーネスト様?」


 訳が分からないまま、わたしはアーネスト様を呼ぶ。彼は振り返らずに、真っ直ぐ前へと進んでいった。
 やがて中庭まで辿り着くと、アーネスト様はようやく足を止める。騎士達へ目配せをすれば、彼等は何も言わず、わたし達の視界から静かにはけていった。


「……アーネスト様?」


 躊躇いつつ、もう一度アーネスト様の名前を呼ぶ。
 今夜は三日月だ。月明かりが、アーネスト様の表情を仄かに照らし出す。その瞬間、わたしは密かに息を呑んだ。それは皇帝としての凛々しい顔つきとも、エスメラルダ様に向けていた笑顔とも違う。苦し気で、どこか切羽詰まった表情だった。


「ミーナ」


 思わず一歩後退る。アーネスト様は構わずわたしに手を伸ばした。
 アーネスト様の大きな手のひらがわたしの頬を撫でる。心臓に直接触れられたかのように、ぶるりと身体が震えた。


「ミーナは俺のことが好きだよね?」

「…………へ?」


 質問の意味が、意図が理解できない。固まったまま、わたしはアーネスト様を呆然と見上げる。


「あの、アーネスト様?」

「好きだよね?」


 俄かには信じがたいけど、聞き間違いではなかったらしい。アーネスト様はそう言って、わたしの両手をギュッと握った。心臓が変な音を立てて鳴り響く。


(好きですよ……! そりゃぁもう、悲しくなるぐらい好きだけど)


 素直にそう伝えるのは難しい。恥ずかしいし、叶わぬ想いに切なくなるし。大体からしてわたしは、アーネスト様に好意を伝えて良いような人間じゃない――――だってわたしは、ただの契約妃だもの。


「――――――心からお慕いしています」

「……それは主君として、って意味だろう? 俺が言ってるのはそういうことじゃない」


 やっとの思いで捻り出したわたしの答えを、アーネスト様は一瞬で否定した。


(だったら一体、どういうことなんですか⁉)


 そんな風に尋ねたくなるけど、彼の口からハッキリ答えを聞いてしまうのも怖い。

 アーネスト様は真剣な表情でわたしを見つめていた。身体が熱くて、心が震える。今すぐこの場から逃げ出したかった。初めて目にするアーネスト様の表情が怖くて、愛しい。チグハグだと思うけど、そんな奇妙な感覚だった。


(本当に伝えても、良いのだろうか?)


 こんな機会、きっともう二度と来ない。だったら、たった一度だけでも良い。許すと――――許されるというのなら、アーネスト様にわたしの気持ちを伝えたい。そんな欲が沸々と湧き上がる。


「――――好きです」


 二人きりの中庭にわたしの声が小さく響く。何度も口を開け閉めして、ようやく口にできたその言葉は、ひどく震えていた。ありったけの想いを込めた愛の告白。
 アーネスト様は眉間に皺を寄せ、わたしのことを見つめ続けている。


「アーネスト様が好きです」


 この想いが本当の意味で叶うことは無い。けれど、こうして想いを伝えられたことが嬉しい。本当に、心からそう思う。


「もう一回」

「……え?」

「もう一度言って」


 アーネスト様はそう言ってわたしを抱き締めた。喉の奥が熱く、燃えるように疼く。


「……アーネスト様が好きです」

「もっと」

「――――好きです」

「俺の名前を呼んで」

「――――――アーネスト様が好きです」


 恥ずかしさに身悶えつつ、許されなかった筈の『好き』を何度も言葉にする。胸いっぱいにアーネスト様の香りを吸い込み、頭が段々クラクラしてくる。


「ロキよりも?」


 その時、ぼそりと、まるで独り言のようにアーネスト様が口にした。


「……え?」

「俺が一番だって思って良い?」

(どうしてそんなことを聞くのだろう?)


 答えなんて初めから決まっているのに。こんな風に尋ねられたら、まるで一番であることを望まれているみたいだ。

 そりゃ、アーネスト様は皇帝で。何でも一番で然るべき御人で。普通に考えたら当たり前のことなのかもしれない。

 それでも、こんな風に愛を乞われたら――――――彼もわたしに愛情を抱いているって、勘違いしてしまいそうになる。


「答えて、ミーナ?」

「…………アーネスト様が、一番です」


 けれど結局、抗うことなんて出来やしない。


「うん」


 そう言ってアーネスト様はわたしの髪に顔を埋めた。


「アーネスト様」

「うん?」

「戻らなくて良いんですか?」


 主催者が会場を不在にして良いのか、その辺の事情はよく分からない。だけど、海外からの来賓もいるのだし、あまり宜しくない状況だってことは何となく分かる。


「うん……戻らなきゃだね」


 けれどアーネスト様は、言葉とは裏腹に、先程よりも強くわたしのことを抱き締めた。


「あの……」

「もう少しだけ。ミーナも俺を抱き締めて」


 心臓がギュッと収縮する。そんな風に言われて、拒める筈ない。
 おずおずとアーネスト様の背に手を伸ばせば、彼は大きく深呼吸をした。


「ミーナ」


 アーネスト様が何度も何度もわたしの名前を呼ぶ。月が雲に隠れ、辺りが仄暗くなる。
 わたし達を見ていたのは月だけじゃない――――この時のわたしは、そのことにちっとも気づいていなかった。