さっきまでアーネスト様と二人きりで踊っていた広間で、たくさんの貴族達が踊っている。煌びやかに着飾った人々。けれど、どんなに人が溢れかえっていても、瞳はたった一人を追い掛けてしまう。


「――――エスメラルダ様は綺麗ですね」


 いつの間にか隣に居た男性へ、そんな話題を持ち掛ける。


「当然です。エスメラルダ様は、この世の誰より美しいのですから」


 淡々とそう口にするのはエスメラルダ様の騎士――コルウス様だ。

 見目麗しく、エキゾチックな雰囲気が魅力的なこの男性は、先程から頻繁に貴婦人方の視線を集めている。
 けれど、他人を寄せ付けないオーラが大きな障壁となっているらしく、誰一人として彼に話し掛ける者はいなかった。

 コルウス様の表情はいつもと同じ――憮然としていて掴みどころがない。けれど、瞳がどこか悲し気に見えた。

 彼の視線の先にはエスメラルダ様が居る。そして、その隣にはわたしの視線が向かう場所―――アーネスト様が居た。

 今夜のエスメラルダ様は、アイスグリーンの上品なドレスを身に纏い、大きなエメラルドの髪飾りをお召しになっている。その姿はさながら女神のようで、同性のわたしから見ても惚れ惚れしてしまう。


「コルウス様は苦しくありませんか?」


 そう口にしつつ、己の胸がキュッと軋む。エスメラルダ様と身を寄せ合い、優しく微笑むアーネスト様は、まるでわたしの知らない人のように見える。


(エスメラルダ様にはあんな顔をするんだ……)


 そう思うと、心が痛い。


「苦しくないように見えますか?」


 コルウス様は質問に質問で答えた。相変わらず淡々とした受け答えだが、その声が、表情が、彼の気持ちを物語っている。


(コルウス様はエスメラルダ様が本気で好きなんだ――――)


 それが、この半年の間にわたしが辿り着いた答えだった。
 初めは騎士として主人を慕っているだけだろうと、そう思っていた。けれど、彼の瞳にはいつも、はっきりと恋慕の情が見えたし、周囲にそれを隠す様子もない。
 今だってそう。エスメラルダ様を見つめる瞳が、ものすごく切なく、熱く燃えている。


「苦しいなら見なきゃいいのに――――そう思いません?」


 それはコルウス様にというより、自分自身に向けた言葉だった。

 アーネスト様が別の妃と踊る――――そんなの最初から分かりきっていたことだ。彼がわたしではない、他の妃の元に通っているのも純然たる事実だし、もっと言えばわたし以外の妃は『アーネスト様の本物の妃』なわけで。


「そうですね」


 そう言ってコルウス様はわたしの腕をグイッと掴む。


「わっ……!」

「俺達も踊りましょう。そうすれば多少はマシになるかもしれません」


 ホールの中央へと進み、コルウス様から促されるがままにステップを踏む。


「あの、ダンスをお受けするマナーとか、説明は受けたけどあんまり理解できていなくて……大丈夫なんでしょうか?」

「我が国のマナーに照らし合わせれば問題ないかと」


 コルウス様の言う通り、周囲がわたし達に眉を顰める様子はない。ホッと安堵しつつ、わたしはコルウス様のリードに身を任せる。
 遠目からはよく見えたアーネスト様とエスメラルダ様の姿も、近ければ案外見えない。


「本当……気にならなくなってきました」


 身体を動かしている、っていうのも影響しているのかもしれない。思考の渦から逃れられたせいか、気分が多少高揚する。


「それは良かった」


 そう言ってコルウス様は、ほんの少しだけまなじりを緩めた。


「わっ……笑った! コルウス様が笑った!」


 こんな風に彼が笑うのを、わたしは初めて見た。


(普段無表情な人が笑うのって、とんでもない破壊力を持っているんだなぁ)


 なんというか、見てはいけないものを見てしまったみたいな特別感。エスメラルダ様はいつも見ていらっしゃるんだろうけど、何だか得をした気分だ。


「あなたは……一体俺を何だと思っているんですか?」

「うーーん、エスメラルダ様命で、エスメラルダ様以外には関心がなくて、笑顔も含めて、自分の全部がエスメラルダ様のもの――――って感じの生命体でしょうか?」


 ハハッと、声を上げてコルウス様は笑った。正解という意味らしい。


(まさか、こんなところにも仲間がいるなんてなぁ)


 彼はロキとはまた違った意味で、わたしの仲間だった。主人と慕う人に、決して叶わぬ恋をしている――――そういう者同士。

 とはいえ『実はわたしはアーネスト様の契約妃なんです』って打ち明けるわけにはいかないから、ものすごく一方通行な共感にしかならないんだけど。

 そうこうしている間に、曲が終わっていた。踊り始めたのも途中からだったし、物凄く短時間だったように感じられる。



「次は俺と踊りませんか?」


 問われて振り向けば、そこにはロキがいた。
 コルウス様を見れば、彼は急ぎ足でホールを横断している。エスメラルダ様を迎えに行っているのだろう。


「喜んで」


 そう言ってわたしはロキの手を取る。ロキは穏やかに微笑んだ。


「初めはどうなることかと思いましたが、随分上手くなりましたね」


 いつも褒めてくれていた割に、こっそり心配していたらしい。ふふ、と小さく笑いつつ、ロキから教わったステップを踏んだ。


「先生が良かったおかげね。だけど、ロキはアーネスト様の警護に回らなくて良いの?」

「今は別の者が警護についています。もちろん俺も、主の様子には気を配っています」


 わたしには最早、アーネスト様がどこにいるのか分からない。踊っている間に方向感覚が無くなって、すっかり見失ってしまっていた。


(次にアーネスト様が踊るのはソフィア様かな? それともベラ様かな?)


 身分からすればソフィア様の方が上だけど、ファーストダンスにわたしを選ぶようなお方だ。ソフィア様とは軋轢もあるし、もしかすると最後に回されるのかもしれない。


(どちらにしても、アーネスト様が他の人と踊る様子は、あまり見たくないけれど)

「でも、何だか寂しくなるわね」

「寂しく?」

「うん。今日でロキと会えなくなるんだなぁと思うと、寂しい」


 ロキはこの夜会に向けて派遣された、ダンスの先生だ。
 後宮は基本的に男子禁制――――今日が終われば彼との接点は無くなる。そう思うと、堪らなく寂しい。


「そう心配せずとも、また会えますよ。俺は主と一緒に金剛宮に来ますし、お呼びとあらばいつでも馳せ参じますから」

「いつでもだなんて……嘘吐き。アーネスト様が最優先の癖に」

「当然です」


 そう言ってわたし達は笑い合う。


「でも、そうだね」


 アーネスト様を守るっていう共通の目標があるから、わたし達はきっと、これから先も繋がっていられる。そう思うと何だか嬉しくなる。

 ロキは穏やかに微笑むと、わたしの耳元にそっと唇を寄せた。


「ミーナ様にお願い事があります。いつか、主とミーナ様の子どもが生まれたら――――俺をその子の騎士にしてください」


 感慨に耽っていたわたしにロキが囁いたのは、思いがけない言葉だった。


(アーネスト様とわたしの子どもって――――)


 騎士にしてほしいとか、具体的に言われたら、色々と想像してしまう。恥ずかしさに頬を染めつつ、わたしは首を横に振った。


「だっ……だから! そんなの生まれっこないって」


 他の人に聞かれるわけにはいかないので、わたしもロキに耳打ちする。屈んでくれて助かった。そうじゃなかったら、悶々と頭を抱える羽目になっていたに違いない。


「さあ……それはどうでしょう?」


 ロキはそう言って目を細めると、わたし背後をそっと見つめる。


(え?)


 怪訝に思うと同時に、誰かがわたしの手首を掴んだ。ビクリと身体を震わせ、恐る恐る振り返る。
 すると意外なことに、そこにいたのはアーネスト様だった。


「アッ……陛下?」


 アーネスト様はわたしの呼び掛けには答えず、どこか真剣な面持ちでロキを見つめる。


「ロキ――――」

「はい、お任せください」


 一言、そんな会話を交わして、ロキが笑う。それからアーネスト様はわたしの手を引き、人混みを真っ直ぐに突き進んだ。


「陛下⁉ お待ちください、陛下!」


 遠くから、悲鳴にも似たソフィア様の声が聞こえてくる。


(なに? 一体どういうこと?)


 サッパリ事態の呑み込めていないわたしに向け、ロキが満面の笑みで手を振っていた。