二人で一緒に朝食を摂った後、アーネスト様は早速、ダンスを教えられるという従者へと引き合わせてくれた。

 彼の名前はロキ。

 黒と銀が混ざったみたいな不思議な髪色をした、背丈の大きな細身の男性だ。
 年の頃はアーネスト様と同じか少し上、といった風貌で、愛想はあまりない。けれど、不思議と親しみやすさを感じる、これまでに出会ったことのないタイプだった。


「ロキは皇子時代、俺の側近だったんだ」


 そう言ってアーネスト様は穏やかに笑う。どこか寂し気な表情だ。


(側近『だった』ってことは――――)


 今は違う、ということらしい。気になるけど、深堀するのも憚られる。


「そうでしたか」


 そう言って、曖昧に微笑んだ。


 紹介もそこそこに、アーネスト様は足早に宮殿を後にした。朝議に出られるらしい。
 大きなホールにはわたしとロキ、それから侍女のカミラが残っている。ロキは静かに跪き、わたしを真っ直ぐに見上げた。


「ロキと申します。改めて、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 言えば、ロキは穏やかに微笑む。孤高の狼のような――――けれど従順な犬のような、チグハグな印象の微笑みだった。


「主からミーナ様のお話は聴いております」

「えっ? わたしの?」


 何かの間違いじゃなかろうか。わたしはそっと首を傾げる。


「はい。あなたが主を――――守ってくださると」


 ロキはわたしの手を取り、耳元にそっと唇を寄せた。


「もっ、もしかして! ロキにも記憶が残っているのですか?」


 一度目の――――アーネスト様が殺された記憶が。言外にそう尋ねると、ロキは首を横に振った。


「いいえ。けれど、主が教えてくれました」


 ロキはそう言って真っ直ぐにわたしを見つめる。その瞳に、一ミリだって疑いの色は見えない。


(信頼しているんだ)


 ロキは――――それからアーネスト様も――――お互いを強く信じているのだと分かる。

 アーネスト様には、ロキが犯人じゃないという確信があった。だから、一度目の人生で自身が毒殺されたことを打ち明けた。
 そしてロキも、そんなアーネスト様の話を当たり前のように受け止めている。当事者――覚えている者以外には信じがたい、荒唐無稽な話だというのに。


「主は俺の全てです。ですから俺は、全力であなたの力になります」


 力強い言葉。わたしは大きく頷く。何故だか心がポカポカと温かかった。

 ロキはとても良い先生だった。ダンスのダの字も分からないわたしに、手取り足取り、懇切丁寧に指導をしてくれる。


「今のはすごく良かったです。とても綺麗でしたよ、ミーナ様」


 おまけにものすごく褒め上手だから『必死で頑張っている』という感覚が少ない。おかげで、ストレスなく練習が続けられた。

 見目麗しいロキの存在は、あっという間に後宮内の話題を掻っ攫った。他の宮殿の侍女達すら、彼の姿を拝むために、度々ホールを覗きに来る始末だ。けれど、アーネスト様命のロキは、そういう熱視線に興味はないらしい。チラとも振り返ることなく、わたしの指導に集中している。


「ところで、ロキは普段、どんな仕事をしているんですか?」


 彼と初めて会ってから二週間が経ったある日のこと、わたしはそんなことを尋ねてみた。お喋りしながらも、足は止めない。鮮やかなリードのおかげで、ようやく『ダンスっぽいもの』に近づいてきた、って感じだ。


「主の――――主に貴石宮の警護をしています」

「貴石宮?」


 初めて耳にする宮殿だ。首を傾げるわたしに、ロキは小さく頷いた。


「貴石宮は内廷にある、主の住まいです。公務が忙しく、金剛宮を訪れる時間がない時は、主はそちらで寝泊りしています。主が金剛宮を訪れる時は、俺も同行します。そうか――――ミーナ様はご存じなかったのですね」


 そう言ってロキは穏やかに微笑む。


(全然、知らなかった……)


 わたしの世界はとても狭い。他のお妃様を通して、後宮内のことは少しずつ分かって来たつもりだけど、内廷のことや、アーネスト様を取り巻く環境等、まだまだ全然知らないことは多い。


「――――主は元々、皇位を継ぐ予定ではありませんでした。皇太子――お兄様がいらっしゃいましたから。
けれど、先帝とお兄様を同時に失い、本人すら予期せぬ形で唐突に皇位を継ぐことが決まりました。
本来なら俺は、主の側近になれるような人間じゃなかった。俺は自分の親がどんな人間なのかすら知りません。主はそんな俺にも、居場所と生きる意味を与えてくれたんです。皇帝になった今でも――――昔のようにはいかずとも――――俺を側に置いてくれている」


 ロキの言葉に息を呑む。彼は、今にも泣きだしそうな、それでいて幸せそうな表情を浮かべていた。


(同じだ)


 ロキはわたし――――もう一人の自分だ。
 初めて会った時からロキに感じていた親近感はきっと、彼とわたしが同じだからこそ感じたものなのだろう。わたし達の心の中には、他人が絶対に侵せない不可侵領域――アーネスト様――が存在する。


(ロキに出会えて良かった)


 何となくだけど、ロキもわたしと同じことを考えている気がする。満足気に微笑むアーネスト様の顔が目に浮かんで、わたしはふふ、と声を上げて笑った。