突然ですが、契約結婚しました。

その後に続く言葉に、耳を疑う。

「いらっしゃい。奥さん来てるぞ」

……はい?
重くなっていた瞼がカッと開いた。バーで飲むにはまだ早い時間、店内に女性は私1人だったはずだ。
恐る恐る顔を上げて振り返ると、数時間前、思うままの感情をぶつけてしまった相手が扉の前に立っていた。彼もまた、驚いた様子でこちらを見ている。

「なん……っでここにいるんですか」
「……こっちの台詞だそれは」

主任が私から視線を逸らす。そりゃそうだ。
利益のために結婚しただけのお飾り妻に色々と口出しされて、不快にならないはずがない。

「……タイガさんが呼んだんですか?」
「まさか。俺、仕事中は余程のことがない限りスマホ触らないよ」

確かに。ずっと見てたわけじゃないけど……タイガさんがスマホ触ってる姿、見たことない気がする。
主任とタイガさんが友達とはいえ……県を跨いだこの場所で、こんな偶然。神様がいるのだとしたら、あまりにもイタズラがすぎる。

「……私、帰ります」
「タマちゃん」
「主任も、私がいない方がゆっくり飲めるでしょう」

席を立とうと腰を浮かせた瞬間、目の前の世界がぐにゃりと歪んだ。
あ、やばい。さすがに飲みすぎた。
世界が反転し、衝撃を覚悟した瞬間。

「っアホ……!」

初めて知る温もりが私の体を抱き留めた。
あ……あれれ……?

「真緒、ナイスキャーッチ」
「笑い事ちゃうわ」

その温もりが主任のものだと理解するのに、寸刻。それからハッとして、慌てて体を離す。

「す……すみません」

何やってんだ私っ! あれだけ啖呵切ったのに、助けてもらうなんて。
情けない。主任の顔、見れないよ。

「タマちゃん、大丈夫? 水飲みな」
「あ……いえ、大丈夫です。すみません、フラッとしちゃって」

お会計を、そう言おうとしたところでパシッと腕を掴まれた。驚いて振り返ると、主任が眉間に皺を寄せている。

「大丈夫じゃないだろ。大人しく休んでろ」
「……大丈夫です」
「嘘つくな。まだ足元ふらついてる」

誰のせいだと。あなたが友人に愚痴をこぼしに来たから、退散しようとしてるんじゃない。
私がいたら腹を割って話すどころか、したい話も出来ないでしょうに。

「ちょっと休んでから帰りなよ。寝てたって、真緒が責任持って連れて帰ってくれるから」
「……大河に言われるのは癪だが」

ふいっと顔を晒し、主任は私のグラスのある隣の席に腰掛けた。他の席も空いてるのに……どうして?