突然ですが、契約結婚しました。

そうしようとしてしてるんじゃなくて、そうしなければならない時を察知して、いつしかそうすることが普通になっている。想いを秘めて、ずっと、穂乃果さんの前でそうしてきたから。

「あの時もそうじゃなかった? 私が小学生の時のピアノコンクール」
「……あぁ、本番直前に出たくないって号泣してたやつな」
「そうそう。みんなが手を焼く中、おばさんと見に来てくれとったまーくんが必死に説得してくれて」

やめて。

「私も根負けして、優勝したら結婚してくれるなら出る! なんて言ってさ」

やめてよ。

「結局準優勝で、また泣いてさ。懐かしいなぁ。まーくんのお嫁さんになるんやーって、あの頃、本気で思っとった」

言うなよ。笑って、昔話みたいにして。
勝手に完結して、勝手に昔話にしないで。
今この瞬間に、昔話にされて傷ついてる男がここにいるのに。
この人の中では、まだ何も終わってなどいないのに……!

「──この辺りで勘弁してください、穂乃果さん」

意識の外で、言葉は口を衝いて出た。

「これ以上聞くと、お2人の仲の良さにやきもち妬いちゃいそう」

感情をぐっと押し殺し、努めて冷静に、口角を上げて牽制を入れる。と、穂乃果さんはハッとした様子を見せた。

「ご、ごめんなさい! 私ってば、環さんのこと考えんと自分のことばっかり……!」
「いえ。私も、子どもですみません。想像以上にお2人が仲良さそうだから、つい」

上手く演じられているだろうか。貼り付けた笑顔は嘘になっていないだろうか。もくもくと湧き上がっていた猜疑心と嫌悪感は上手く隠せているだろうか。
いくつもの小さな不安を抱きつつ、意識を左側に投げる。主任は少し驚いた様子でこちらに視線を向けていて、自然と笑みが溢れてしまう。
ねぇ主任。呪いにかかって身動き取れなくなると、厄介だね。


太陽が西に傾きかける頃、穂乃果さんのスマホに着信が入った。聞くと、相手は一緒にこちらに来ていたご主人で、彼もまた東京にいる旧友に会いに来たのだと言う。連絡はその予定が終わったことを知らせ、穂乃果さんもそれに合わせてうちを後にした。

「……すまん。さっきは助かった」

穂乃果さんを送り出した後、ソファーに腰掛けていた主任がぽつりと溢した。食器を洗い終えてリビングに戻ってきた私は、その言葉を受け止めあぐねてお手玉してしまう。

「別に……。人の思い出話を、私があれ以上聞いてられなかっただけですから」

応えた声は、自分でも驚くほど低かった。刺さった棘には気が付いている。