突然ですが、契約結婚しました。

「私、いいこと聞いちゃいましたかね?」

頬が緩み、聞く声は僅かに弾んだ。うんうんと頷く穂乃果さんの手前にいる主任の顔は、見えなかったけれど。


「そういえば」

話が一段落したタイミングで、疑問を投げかける。

「穂乃果さん、フランスにいらっしゃったんですよね?」
「はい」
「お仕事とかで行かれてたんですか?」

これは、結構ずっと疑問だったこと。海外にいるとは聞いてたけど、どういった理由でかまでは聞いたことがなかった。
私の問いに、穂乃果さんはあぁと声を上げた。ダメージなんて知らないような艶のある長い髪が、さらりと肩から滑り落ちる。

「留学してたんです。向こうに、ピアノの師匠がおって」
「へ、へぇ……」

口から転げ落ちたのは、何とも気の抜けた返事だった。……いや、だって。そんな選択肢、私の頭にはなかったんだもの。予想外すぎて、脳内処理が追いつかなかったのだ。

「えっと、でも、今住んでるのは……大阪ですよね?」
「はい。結婚を機に、帰ってきました」

髪を耳にかけた細長い左手の薬指には、眩い輝きが放たれている。夏の終わりとは思えない白い手のひらは、まるでジュエリーブランドの広告のように映った。

「えっと、じゃあ、ご主人も日本人なんですか?」
「いえ、フランスの人です。なんか、昔から日本に憧れとったらしくて。私も、そろそろ日本に戻ろかなーなんて考えとったところやったんで、じゃあ日本で生活しようかってなって。
大阪に帰れば働き口は何とかなるし、夫も、向こうでは有名なレストランのシェフをしてたので、働き口には困らへんかなーって」

日本に戻った経緯を話してくれる穂乃果さんは、少し恥ずかしそうにしながらも頬が綻んでいて、その様子は多幸感に満ちていた。
なんて素敵な笑顔なんだろう。でも……。
棘が刺さるような感覚に見舞われて、ちらりと主任を横目に盗み見た。

「……っ」

なんて顔、してるの。
つらいはずなのに。ずっと好きだった人の旦那さんの話なんて、聞きたくないはずなのに。

「お前のそういう後先考えへんとこ、昔から変わらんな」

なんでそんなに穏やかに、何でもないことのように笑ってんのよ。

気付いてしまった。結婚してから、色んなところで一緒に夫婦の仮面を被って、演じるのが上手いなぁなんて思っていたけれど。そうじゃないんだ。そうじゃなくて、ただ。

「え? 身に覚えないんですけど」
「よぉ言うわ。いっつも突っ走って、俺がどれだけ振り回されてきたか」
「あはは。手綱引いてくれてありがとうなぁ」

ただこの人は、演じることが染み付いているだけだ。