突然ですが、契約結婚しました。

お礼の電話とか、しなきゃなんですけど。気の利かない嫁って思われて、困るのは主任でしょぉ!?
反駁する気持ちがもくもく湧き上がっている私をよそに、主任は素知らぬ顔。

「うちの親、娘が出来て浮かれてるんだ。時期が終わる前に環に、って送ってきたんだけど、どう考えても2人で食べ切れる量じゃないんだよ。迷惑じゃなければ、持って帰ってもらえると助かるんだが」
「迷惑だなんてそんな。ありがたく頂戴します」
「そうか。じゃあ、帰る時に渡そう」

そう言って主任が唇の端っこを僅かに持ち上げた。今日の主任は、ただの同僚という立場からすればスーパーレア以外の何者でもないだろう。会社では決して見せない、妻の前だけで見せる顔。
主任が仕掛けるやり取りや表情は、ベタベタはしていないけれど良好な夫婦関係を築いているという図式を確立するには十分すぎるほどだった。

「なんか、拍子抜けするくらい2人が夫婦でびっくりしちゃった。全然想像出来ずにいたけど、もうしっかり家族なのね」

帰り際、玄関先で私にだけ聞こえるように耳打ちされた言葉。こんな言葉を湯浅に言わせるくらいには、今日の私達の立ち振る舞いには説得力があったのだ。
かくして、必要以上に構えていた湯浅の訪問は、主任の絶妙な演技によってあっさりと終わりを迎えた。


湯浅が帰り、第二部に向けての軽い腹ごしらえが済んだタイミングで、ダイニングテーブルの上に置かれていた主任のスマホが震えた。あえて気に留めないフリをして、私は使い終えた食器をキッチンに運ぶ。

「……駅、着いたって」

スマホを片手に低く呟く主任。私は、「そうですか」と淡白に言葉を返す。なるべく努めて冷静に、私は主任の妻を演じるのだ。主任が好きな、女性の前で。

「……は?」
「どうしたんですか?」

主任の低い声がして、キッチンのシンクから顔を上げると彼はとても渋い顔をしていた。

「迷いそうだから、駅まで迎えに来いだとさ」
「あら……」
「荷物も重いから、運ぶの手伝えって。こっちが本音だろうな」

主任の難しい顔は変わらない。それでも、彼はひとつ息を吐いてから体を翻した。

「悪いが、行ってくるよ。準備は任せていいか」
「もちろんです。準備って言ってもお茶の用意くらいですし、お任せください」
「ありがとう。頼むな」

僅かに困ったように微笑んで、主任はマンションを出て行った。1人残された部屋で、私は昼食で使った食器を洗いつつお湯を沸かす。コーヒーは午前にいただいたので、午後は紅茶を出すつもりだ。