突然ですが、契約結婚しました。

と、そうこうしていると主任が顔を上げた。予期せぬタイミングで視線が絡む。

「環の分、カウンターに置いていいか?」

コーヒーのこと、と理解して返事をするのに数瞬の逡巡。気取られる一歩手前で、慌てて立ち上がる。

「うん、大丈夫。ありがとう。熱そうだけど、真緒さん、2つ持てる?」
「あぁ、大丈夫だ。ケーキ出すから、それ下ろしてくれ」
「はーい」

ワークトップにあった、ケーキの載ったお皿が手際よくカウンターに置かれていく。3つのケーキは、どれも宝箱をぎゅっと詰め込んだようにキラキラと輝いている。

「そういえば、式は挙げないんですか?」

そんな質問が飛んできたのは、それぞれ席についてケーキをいただきながら談笑していた時だった。完全に油断していた。選ばせてもらったミルクレープを頬張っていたところを、横から引っ叩かれた感覚だった。
 
「今のところ、予定はないな」

即答したのは主任だ。スツールに腰掛ける主任の様子を、ちらりと横目で盗み見る。顔色はひとつも変わっていない。

「入籍を急いで、引越しすら後回しだったくらいだからなぁ。そこまで考える余裕がなかったというか」
「そうなんだよね。私自身、式を挙げたいって願望もないし、このまましなくてもいいかなーって」
「そっかぁ。小澤の結婚式、楽しみにしてたんだけどなぁ」
「え、そうなの? 初耳なんだけど」
「初めて言ったもん。でも、願望ないっていうのは前にも言ってたもんね」

納得したように頷いた後、湯浅の変わらない表情が一瞬強張った。“前”がいつを指しているのかを、思い至った様子だった。
私達2人の間に恋だと愛だのは存在しないから元カレの話題が出ても全く問題ないよ、とは言えないよなぁ……。


「あ、そうだ。湯浅、水茄子は好きか?」

取り留めのない話をした後、話がひと段落したタイミングで主任から声がかかった。突拍子も抑揚もない主任の声で発せられた予想の地平にもなかった問いに、湯浅の表情にも一瞬の困惑が見える。

「水茄子……って、あの、関西の?」
「あぁ。泉州の水茄子って言えば、よりわかりやすいか」
「前に大阪に旅行に行った時、ぬか漬け食べました。美味しかった記憶があります」
「そうか。……今回はぬか漬けじゃないが、よかったら持って帰ってくれ」

そう言って、主任が指差したのはキッチンの冷蔵庫。ぬぬぬ? 水茄子? 持って帰るって……何の話?

「今朝、朝一番のクール便で届いたんだ。泉州に遊びに行ったついでに買ったっていう大量の水茄子が、実家から」

えええ? 初耳なんですけど!
確かに、朝インターホン鳴ってるなぁとは思ってたけど。ネットとかで注文した覚えもないし、洗面台でカオを作るのに夢中だったから気にも留めてなかった……。