唇を尖らせていると、主任の軽いデコピンが飛んでくる。
「連日終電帰りにさせてる負い目があるんだよ俺には。無理して体調でも崩されたら敵わん」
だだっ広い空間に、ぶっきらぼうに投げられた言葉。弾かれたように顔を上げると、眉間に深い皺を刻んだ主任と視線が絡んだ。な、なんていうか……。
「主任、結婚してから変わりましたね……?」
「……どういう意味だ」
「だって、そんな心配してるっぽいこと、前は言わなかったじゃないですか」
上司だということを忘れて、思わず、頭に浮かんだ通りの感想が出てしまう。
飛んできそうな言葉と言えば、「営業時間外に無理して営業時間のパフォーマンス落とすなよ」とか「それくらいの仕事、会社で終わらせろ」とかとか! これは完全に私の想像だけど、間違っても私自身を案じるような言葉をかけられること、今までになかったはず。
……まぁ、さっきの言葉がわかりやすく案じているかと言えば、そうでもないけれど。
「…………」
「……主任?」
返事の代わりに、みるみる主任の顔が険しくなっていく。やっばい、あまりに遠慮がなさすぎた?
焦る私をよそに、主任が事務所の出口へと向かって歩き出す。え、放置プレイですか!?
慌てて後ろを追う私の予期せぬところから、低い声が響いた。
「意図して口に出さなかったわけじゃないが、口にしてないからと言って思ってないわけじゃないぞ」
パチンとオフィスの電気が消えた。廊下から差し込む眩い光が主任のシルエットだけを浮かび上がらせている。暗くて、逆光で、どんなカオしてるのか全然見えないけど……。
もしかして、これはあれか。そういうことか。
「……お義父さんの言ってたこと、今やっと理解した気がします」
口下手だから……なんて、お飾り妻の私には関係のないことだと思ってたけど、部下である私に対してもそうだったなら関係大アリじゃないか。わかりにくい。難解すぎるよ、柳瀬真緒。
「なんだ? 何か言ったか?」
「いえ、何も。帰りましょう」
リュックを背負った背中が半分だけこちらに向いて、私は小走りで肩を並べる。
大嫌いだったこの人のことが、少しだけわかった。……ような気がした。
夜が更けると、マンションのエントランスや廊下もどこか雰囲気が違って見える。
「主任、今日こそは先にお風呂入ってくださいね」
「くどいぞ。俺は後だ」
「えぇ、でも」
「いいから。何度も言わせるな」
エレベーターを下り、家までの廊下を声を顰めて歩く。半歩前を歩く主任の背中に声をかけたけど、今日もやっぱり跳ね返されてしまった。
「連日終電帰りにさせてる負い目があるんだよ俺には。無理して体調でも崩されたら敵わん」
だだっ広い空間に、ぶっきらぼうに投げられた言葉。弾かれたように顔を上げると、眉間に深い皺を刻んだ主任と視線が絡んだ。な、なんていうか……。
「主任、結婚してから変わりましたね……?」
「……どういう意味だ」
「だって、そんな心配してるっぽいこと、前は言わなかったじゃないですか」
上司だということを忘れて、思わず、頭に浮かんだ通りの感想が出てしまう。
飛んできそうな言葉と言えば、「営業時間外に無理して営業時間のパフォーマンス落とすなよ」とか「それくらいの仕事、会社で終わらせろ」とかとか! これは完全に私の想像だけど、間違っても私自身を案じるような言葉をかけられること、今までになかったはず。
……まぁ、さっきの言葉がわかりやすく案じているかと言えば、そうでもないけれど。
「…………」
「……主任?」
返事の代わりに、みるみる主任の顔が険しくなっていく。やっばい、あまりに遠慮がなさすぎた?
焦る私をよそに、主任が事務所の出口へと向かって歩き出す。え、放置プレイですか!?
慌てて後ろを追う私の予期せぬところから、低い声が響いた。
「意図して口に出さなかったわけじゃないが、口にしてないからと言って思ってないわけじゃないぞ」
パチンとオフィスの電気が消えた。廊下から差し込む眩い光が主任のシルエットだけを浮かび上がらせている。暗くて、逆光で、どんなカオしてるのか全然見えないけど……。
もしかして、これはあれか。そういうことか。
「……お義父さんの言ってたこと、今やっと理解した気がします」
口下手だから……なんて、お飾り妻の私には関係のないことだと思ってたけど、部下である私に対してもそうだったなら関係大アリじゃないか。わかりにくい。難解すぎるよ、柳瀬真緒。
「なんだ? 何か言ったか?」
「いえ、何も。帰りましょう」
リュックを背負った背中が半分だけこちらに向いて、私は小走りで肩を並べる。
大嫌いだったこの人のことが、少しだけわかった。……ような気がした。
夜が更けると、マンションのエントランスや廊下もどこか雰囲気が違って見える。
「主任、今日こそは先にお風呂入ってくださいね」
「くどいぞ。俺は後だ」
「えぇ、でも」
「いいから。何度も言わせるな」
エレベーターを下り、家までの廊下を声を顰めて歩く。半歩前を歩く主任の背中に声をかけたけど、今日もやっぱり跳ね返されてしまった。



