「しゅに……」
「俺、やっぱ酔ってんかな」
「え?」
「だってこんなん、酔っ払って見てる都合のええ夢やろ」

熱い吐息が耳元で漏れる。
路地に差し掛かった人影が、影を重ねる私達を認識して気配を顰めた音がした。
ごめん、どこかの誰かさん。だけど許して。今ここが、私たち夫婦の大きな分岐点なの。いつかの王子様にかけられた呪いは解けて、ようやく自分の立ち位置を把握出来たの。

「夢じゃないです。っていうか、さっき酔っ払ってないって言い張ってたじゃないですか」
「言ったけど。でもこんな……」
「私の一世一代の告白を勝手に夢にしないで」

体の隙間から自分の両腕を逃がして、主任の背中にそっと回した。その指先が震えていることに、私は自分で気付いていた。
誤魔化すように、両腕にぎゅっと力を込める。

「遅くなってごめんなさい。ずっと待たせちゃってごめんなさい。でも、ようやく気が付いた。私、主任のことが1人の男性として好きです」

あの時、主任が望んでくれたように。
楽しいことがあれば一緒に笑って、つらいことがあれば一緒に泣く。月並みだけれど、そんなありふれた毎日をあなたの傍で紡いでいきたい。
困難だって沢山待ち受けているだろう。もしかするとびっくりするくらい大きな壁が立ちはだかるかもしれない。家族という存在への恐怖だってまだ完全には消えない。
それでも、一つずつ立ち向かっていけばいいのだと、一つずつ向き合っていけばいいのだと、そう思わせてくれたのはあなただから。

「私も、主任と本当の家族になりたい」

最後の音を発し終わる前に、言葉は遮られた。頬を両手で大切そうに包まれ、しかし強引に上向かされた私の顔は、唇を起点に主任と重なった。
驚いて見開いた目をそっと閉じると、全ての意識は触れた唇に向かっていく。
長い、長い口づけだった。唇が離れて冷たい空気に晒されたと思ったら、またすぐに熱が温もりを閉じ込めに来た。ここが外だということも忘れて、私達は水を得た魚のようにお互いの唇を求め合った。

どれくらいそうしていたかはわからない。あるタイミングで、街頭の灯りをぼんやりと宿した瞳と目が合って、私達の間に宿った熱がふっと揺らめいた。

「……ふふっ」
「ふはっ」

少し体を離し、顔を見合わせて笑い合う。それから、涙の痕を主任がコートの袖で優しく拭ってくれた。

「帰るか」
「はい」

いつもと変わらない私達の家に。
だけど、歩き出した私達の手は、離れることなくしっかりと繋がれていた。