突然ですが、契約結婚しました。

出てきた料理はどれも絶品で、胃の空白は確かに埋められていくのに、いくらでも食べられる気さえしていた。

「俺にとってはそれだけの価値があった。それに」
「それに?」

言葉を切った主任に、私は首を傾げる。それほど多くは飲んでいないはずなのに、少しだけ耳が赤いように見えるのは冴ゆる夜のせいだろうか。

「借りをそのままの分量で返すほど格好のつけられへん男じゃないで俺は」

少し駆け足の口調で、しかしその口元は不敵に持ち上げられている。よ……酔ってるなこの人!?
突如関西弁が現れたこともそうだけど、佇まいが明らかにシラフの時とは違う。お会計はデザートまで平らげた後お手洗いに行った隙に済まされていたのでどんな様子だったかわからないけど、少なくとも並んでお店を出るまではいつも通りの主任だった。

「主任、ワインは回るクチですか?」
「いや。ふつう。ふつうに飲める」
「……他のお酒よりは回るんですね」
「回ってへん」

その拗ねたような言い方がもう酔ってるじゃないですか! と心の中で盛大にツッコミを入れる。
足取りはしっかりしている。人通りはそれなりにあるけれど、誰かにぶつかることもないあたりさすがと言うか何と言うか。

「少し休憩してから電車乗ります?」
「なんで」
「酔ってる時って、電車の揺れで気持ち悪くなることもあるじゃないですか」
「よってない」

なんて不毛な押し問答。これまでの主任を思うと、あれくらいの酒量で潰れたりはしないだろうけど……。

「私が酔いました。そこのベンチで少し休憩するか、一駅分歩くか。選んでください」

さぁどうぞ、と半ば強引に選択を迫る。主任は目をぱちくりと瞬かせて、それから視線を地面に落とした。

「ベンチで休憩、やな」

独り言のようにぽつりとこぼして、主任はさっさとベンチへと歩みを進めてしまう。
その背中を慌てて追うけれど、そもそもコンパスの長さが違うのでヒールの音は重ならない。
ベンチにたどり着いても主任は前に立ったままで、私はその背中を見上げた。腰掛ける気配はない。

「主任?」
「ほら座っとけ」
「座っとけって……主任も隣座ってくださいよ」
「俺はそこのコンビニ行ってくる」
「へ?」

私が引き止める間もなく、線路下に入ったコンビニ目掛けて再び歩き出してしまった。
え……えぇ? なんで私が介抱されているみたいになってるんだ。
追いかけようにも、今の彼が素直に聞き入れてくれるとも思わないので、観念してベンチに腰を下ろす。
太ももに肘をついて行き交う人々をぼうっと眺めていると、何だかこの空間だけ世界から切り取られているような気がしてくる。