突然ですが、契約結婚しました。

弾かれたように顔を上げたのと同時に、頭に軽い衝撃があった。大きな掌が頭に乗せられている。

「俺のこの感情は、立派な契約違反だ。答えを出すことを放棄したとしても、誰も咎めない」
「そんなことは、しません」
「だろうな。そういうやつだってことは、上司時代からよく知ってる。だからこそ拒否する選択肢もちゃんと持て。小澤が嫌だと思うなら、この家を出て行く覚悟もある」
「そんなことは……!」
「おまえが望むなら、の話だよ。俺個人としては離れたくないがな」

真っ直ぐな気持ちを遠慮がちに、しかし確実に真正面からぶつけられる。私はそれを、恐る恐る受け止める。
主任は、今までとは違う形で私の傍にいたいと言ってくれている。それは、頼り頼られ、喜怒哀楽を共有するということ。精神的支柱になるということ。

「傍にいるもいないも、どういう関係性で過ごしていくのかも、決めるのは全部小澤だ。だが、その選択をすぐに迫る気はない」
「主任」
「どうか負担に思わないでくれ。俺はそんなつもりで自分の気持ちを伝えたわけじゃない」

わしゃわしゃと大きな手が私の頭を大雑把に撫でる。その温もりは誰とも重ならない。

「風呂沸かしてくる。明日も早いし、早く寝る支度をしよう」

最後にくしゃっと私の髪をかき乱して、主任がリビングを出て行く。頭に残った熱をほのかに感じながら、私はまだ身動きが取れないでいた。


『礼は必ずする』という言葉を主任のほうが忘れていなかったようだけど、出張から戻った翌週から大型案件が本格的に始動したらしく、私もまた通常業務が立て込んだことですれ違いの毎日が続いた。
2月も下旬に差し掛かり、底冷えするような寒さが追い込みをかけるように列島を包んでいる。

「お疲れ。遅かったな」
「お疲れ様です。そういう主任も、持ち帰り仕事ですか」
「あぁ。明日早く上がれるよう、今日中に終わらせておきたかったからな」

21時を過ぎた頃。くたびれた様相を隠さずにリビングの扉を開くと、テーブルに向かっていた主任が顔を上げた。慣れた設定温度に暖められた部屋に、ほっと息を吐く。
温かい飲み物を入れようとケトルに水を汲みながら、パソコンと資料を広げる主任に声をかける。

「明日? 何か予定でもあるんですか?」
「あぁ。遠山さんと約束してる」

小首を傾げて訊ねると、主任は一切気にする素振りも見せずに答えた。私も、あぁとすぐに納得する。
この前の埋め合わせということなのだろう。