日曜日、主任が帰ってきたのは外の世界が完全に濃紺に包まれてからだった。
そろそろ帰ってくる頃合いだろうとキッチンに立っていた私は、包丁を持つ手を止めてリビングの扉を開く。
玄関で革靴を脱いでいた主任が顔を上げた。たった数日離れていただけなのに、とても久々に顔を合わせた気がする。

「おかえりなさい」
「ただいま。迷惑かけたな」
「いえ。体調はもう大丈夫なんですか?」
「おかげさまで。昨日今日と寝たら回復した」

キャリーケースを一先ず土間に置いたまま、主任は洗面所に消えていく。
その後ろ姿を横目に一足先にリビングに戻ると、主任もすぐに姿を見せた。そして、視線はキッチンへと向けられる。

「何作ってるんだ?」
「手っ取り早くお鍋です」
「今日冷えるし、正解だな」

コートを脱ぎつつ、主任が小さく笑う。会社では見せないその笑みに、少しだけ心臓が跳ねたような気がしてむずむずする。
健太くんと話をして引っかかりは一つなくなったように思うものの、やっぱり私は私の気持ちがわからない。主任のことは確かに大事だけれど、好きか嫌いかで言ったら間違いなく好きなんだけれど、

『小澤を1人にしたくないって、そう思うんだ』
『環を1人にしたくないって思った』
重なる記憶が、先に目を向けようとする私の思考を止める。黒い靄が心の中を覆い尽くす。その先へは踏み込ませてくれないのだ。

「晩ご飯まだだったら、一緒にどうですか?」
「いいのか? もう具材切った後だろ」
「ご飯食べてないかもと思って、多めに切ってたので。いらなかったらプラスチックバッグに入れて冷凍すればいいし」

何気なく言ったつもりだったのに、主任の目は大きく見開かれた。それから、ゆるゆると頬の筋肉が緩められる。

「ありがとう。甘えさせてもらう」

その声色や表情に嬉しさを滲ませて言うので、私は小っ恥ずかしくなってお鍋に視線を落とした。


「これが佐々木クリニックの佐々木先生と中山先生、それからこっちが透形病院の医局長のお名刺です」

お鍋を残さず平らげた後。ご実家から譲り受けた急須で主任が淹れてくれたお茶を飲みながら、私はテーブルの上に名刺を並べた。

「都内の病院関係者もたくさんいたんですけど、自分の管轄外であんまり挨拶するのもと思って、今回はこのお三方だけ」
「ありがとう、十分だ。今回の目当てはあくまでも学会だったから、俺も闇雲に挨拶するつもりなかったしな」
「学会、難しかったけど面白かったですよ。後でレジュメお渡ししますね」