突然ですが、契約結婚しました。

「最低なクソ女だな。お前なんかを一度でもいいと思った俺がバカだった」

不快感や憎しみを隠すことなく、彼は私を睨みつける。
その迫力に圧倒されそうになるけれど、仮面が割れてしまわないよう、必死に堪えた。

「俺に、お前みたいな女は不釣り合いだったな。間違えなくてよかったよ」

何という捨て台詞。あくまでも、自分が私を選ばなかったという図式なのねぇ。

「さよなら、ジンくん。お元気で」

最後の最後まで、余裕たっぷりの完璧な笑顔のままで。
彼もまた表情に怨色を滲ませたまま、バーから姿を消した。



「はぁあぁああぁああぁ……」

今すぐ場を離れたい気持ちをグッと堪え、少し間を置いてからお会計を済ませた。生ぬるい夜風に当たりながら、つい深いため息が出る。

なんか、どっと疲れた……。
振り返ればたった数瞬だったはずだけど、とっても長く感じた時間だった。

っていうか、バーに乗り込んできたくせに何にも頼まず出て行くし! お騒がせしましたって、私が店員さんに謝るハメになるし!
何より、周りの空気が居た堪れなかったっつうの!
と、自分の行動は棚に上げて、心の中で散々詰る。

あーあ。あのバー、もう行けないな。数少ないお気に入りだったのになぁ。
まさか、お店の場所まで覚えてるだなんて。

こんなにも粘着質な人だとは思わなかった。あの別れに、まだ続きがあるだなんて想像もつかなかった。
今度こそもう二度と会うことはないと思うけど……もし仮に、婚約者の存在がウソだとバレたらどうなるんだろう。

そこまで考えて、ゾッとした。
プライドの高いあの人のことだ。嘘をついてまで撒こうとしたなんて知られたら……。

「……やめよ」

悪い想像なんて、際限なく出来ちゃうんだから。
どつぼにハマりそうな時は、思考を強制シャットダウンするのが吉だ。
うんうん、切り替えましょう。

「この後、どうしよ」

バーのある路地を抜けて、人通りのまばらな夜道をあてもなく歩く。
時刻は22時を過ぎたところ。せっかくの土曜日なのに、こんな最悪な気分では帰る気にもなれない。

友達リストから、適当に誰か呼び出す?
そう思ってメッセージアプリを起動したものの、ぴたりと指が止まる。

無理だ……。元々拗れかかっていたことに辟易して、今日は1人を選んだんだもん。
明確に拗れた後なんて尚更、誰に連絡する気も起きないし、誰が安全パイなのかももうわからなくなってる。