「寝たふり? ……可愛い」


そういうわけでもなく、ただ瞼を閉じてただけだったけど。
今は返事をしたくない――それは当たってる。


「……碧子さんには、分かんないんだろうね。俺がどれだけ、週末待ち遠しいか」


髪を上から整えられ、覗き込まれてると思うと自然な呼吸すらできなくなる。


「身体だけなら、こんなこと思わない。なかなか名前呼んでもらえなくて、焦れたりもしない。……呼ばれて、堪らなくなったりしない」


息を止めると、瞼が痙攣して睫毛まで震える。
起きてるのが最初からバレてるのに、そのまま話し続けるのは、何を伝えたいからだろう。
笑って瞼にキスしたくせに、咎めることも起きてると証明することもしないで。


「どうしたら、手に入るんだろ。モラルとか世間体とか、よく分かんないそういうの壊れちゃうくらい、俺を見てくれるんだろ」


熱い。
一気に部屋の温度が上がったと思ったけど、そうじゃない。
戸田くんにまた覆い被さられてんだと気づいて、無意識に目も開いてたのに。


「ん、っ……」

「……好きだよ、碧子さん。碧子さんも、俺のこと好きになってよ」


口づけられたら、もう閉じるしかなくなる。


「好き以外に、何言えばいいの。俺のこと欲しがってくれないのに、強引以外にどう触れたらいいの。それでも俺、碧子さんに良くなってほしいのに」


重なっては離れ、少し苛立ったように問われる。
呼吸で精一杯、を装う私は、戸田くんにとってきっと酷くて狡いんだと思う。


「俺の半分でいいから、好きになって。お願い。……難しい、なんて言わないでよ」


私は、戸田くんの気持ちのどれくらい、彼を好きでいるんだろう。
大嫌いというより憎しみしかなかったのが、ひどく遠い日のように感じる。
それはたぶん、単なる脆すぎる防御本能でしかないことも分かってる。

同情?
そんな余地ない。

憐れみ?
まさか。

じゃあ、いつの間にか、何かと混ざって薄れて、新たに芽生えつつあるこれは――……。


「……あおこ、さ……」


肌に触れて摑まるとか、絶対嫌だと思ってた。

キスは終わってたのに。
彼の懇願が聞こえるだけで、他に何も耐える必要ないのに。

抵抗でも我慢でもなく、腕に摑まる理由は何?


「……好き、は? 」


目を開けなきゃよかった。
ほんの少し指が彼の腕を捕えただけで、そんなに嬉しそうにされたら、どこを見たらいいのか分からない。


「そ、それは当初のお願いに入ってなかった」

「言うと思った。でも、今言ったからね。おいおい、そう遠くなく、早めに聞いてもらうとして」


期限をどんどん狭められてるのを無視する私に、さっきとは全然違う、意地悪な笑い方をして。


「俺の名前は呼べるようになったもんね。ほら、呼んで? 」

「さ、さっき呼んだからいいじゃ……」

「だーめ。足りない。なに、最中、盛り上げる為に呼んでんの? 俺はそういう意味じゃなかったのに、碧子さんえろ」

「そんなこと言ってない……! 」


むぎゅっと両頬を包まれ、緩く押さえられ。
両方の親指が、催促するように頬で遊ぶ。


「俺のこと、名前で呼んでってお願いなんだから。会社では勘弁してあげるから、ちゃんと呼んで。まだ呼べないなら、100回くらい練習する? 」


(……また、そんな恥ずかしいこと言う……)


子どもっぽい執着。
さっきとはまた別の執拗さに、顔を背けるけど。


「碧子さん。一穂、は? 」

「……一穂くん」


確かに一度呼んでるからか、抵抗が減ってる。


「……もう一回」


見上げるというより睨んだはずなのに、そこにはもう意地悪も子どもっぽさもなくて。


「一穂くん」


すごく、切なそうな男の人がいた。


「……うん……」


あれから起き上がることもなく、横になったままの身体を覆われ、また始まるのかと身構えた私にふっと笑って。

ただ、ふわりと包まれてしまった。