・・・
「ねえ。今日こそは、帰っちゃやだ」
腕を回され、甘えるように彼の顎が私の肩に乗る。
まるで恋人みたいな行動に、混乱しきった頭がそれでも自分を責め始めて泣きたかった。
(脅迫されてるんだよ。忘れたの? )
それなのに、「ちゃんと口説いてほしかった」そんなこと思うなんて。
脅されている事実よりも、自分のことが信じられない。
「っていうか、もう終電ないもんね。もちろん、狙ったんだけど。だから、帰さない。……碧子さん? 」
また泣くの。
悪魔みたいな人の前で、傷ついてるところ見せるの。
「っ……、ごめん! どこか痛かった……? さっき、手首押さえた時、力入っちゃっ……」
違う。
そんなの、全然痛くも何ともなかった。
「……あ……。あれは、本当にごめん。でも、俺も悲しいんだよ。年下だからって、若いとか言われるの。俺だって、碧子さんと同い年以上になりたいけど、無理だし。それを理由に見てもらえないのは、すごく苦しい」
確かに、大人の男の人に子ども扱いは失礼だ。
でも、それは。
「……何で、あんなことしたの? 言いなりにならなきゃいけないのに、黙ってなんていられない。恋愛対象にならないって、線引かなきゃいけなくなるのに。もっと訳分からないのは、何で……っ」
――最後まで、脅さないの?
「……え。碧子さん、線引こうってしてるの? 俺に呑まれないように、年下だからって……? 」
脆い、防衛本能だ。
すごい年下だから、子どもだからって。
戸田くんを人だと――男の人だって認識してしまわないように。
「ちょ……っと待って。何それ、やば……嬉しすぎる」
情けなくて恥ずかしくて、しゃくり上げる自分がますます嫌いになる、のに。
「ごめん。そこで喜ばれたら、悔しいよね。でも……でもね。可愛い。泣き顔も、泣いちゃう碧子さんも可愛いすぎて、まじ、やば……」
キス。
絶対しないって思ってたのに。
なおも顔を隠そうとする手をやっぱり捕らえられたのに、そこでただちゅっと軽く重ねるだけとか、狡すぎる。
「言ったとおり、普通に新人として現れたままじゃ、相手にされないの分かってるから。その他大勢のうちの一人、が嫌だったから。……どうしても、欲しかったから」
「どうして……」
何度も聞いてるけど、まだ納得いかない私に少し悲しそうに笑って。
「……一目惚れって理由はだめ? 綺麗だなって思ったら、当然目がいくし。言ったじゃん。すごい困ってるって感じで、でも一生懸命教えてくれるの可愛いかった。あ、こんな不器用なとこもあるんだ。意地っ張りで損しちゃうこともあるんだ……そう思ったら、どうしても側にいたくなった」
「……もし、私が本気で拒んでたら……」
私は、何を言ってほしいんだろう。
「本気で嫌がってたら、するつもりなかったよ」――そう言わせて、どうしたいの。
「……ううん。してたよ、きっと」
そこで、髪を撫でられて思い知った。
悪魔のままでいてほしいって思ったけど。
いざ悪人でいられても、心はちっとも晴れない。
私の為にそう言ったのが伝わってきて、それが事実だとしか思えなくなってきて。
余計に苦しくて、どうしていいのか分からなくなる。
「脅してばっかじゃないのは……身体だけじゃ足りないから。好きだから、優しくしたいって身勝手な“好き”。……ごめんね」
勝手だって認められて、そんなとこで謝られて。
また涙が溢れてくる私の背中に、今頃躊躇うように触れる。
さっきとは別人みたいな、不慣れで下手くそな撫で方に、いっそう涙が誘われてしまう。



