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左之助が本丸にある正虎の部屋を後にした頃には、もうすっかり日は暮れて、星々が鮮明に輝く時間になっていた。
城の中も不寝番のもののみになりはじめる時間帯のようで、みな就寝に向けてゆるゆると下がっていくのが感じられた。
(ま、それなりに時間はかかったか……)
為景から手紙を持っていくように言い付けられた時は子の刻を過ぎることも覚悟していたが、想像よりも早く終わったことに安堵する。
流石にたった2人しか住んでいない為景の屋敷は静かで、人が動いている気配もない。
左之助はゆっくりと音を立てないように玄関を開けた。
「戻ったか」
「え、」
しかし、そこには左之助が想定していなかった人物が、壁を背もたれにして待っていた。
「……た、た、為景様、起きてらっしゃったのですか?」
「今日中に手紙を寄越せと言ったのは私だ、当たり前だろう……」
私がさっさと寝てしまう薄情者だと思ったのか。そうぶつくさと文句を言う主人を、左之助はまんまると開いた眼で見ていた。
いやさ、確かに寝ると思っていた。なぜなら彼女は姫なのだから、寝ていたとして左之助が文句を言うことはない。
確かに起きていてくれた方が左之助はありがたい。正虎からもらった文をすぐに渡すことが出来るのだから。
(でも、玄関で待たなくても……)
ただ、予想外だったのは彼女が寒い玄関で待っていたことだ。
「兄上はお元気そうだったか?」
「え、ええ。炎の異能を披露いただきました……」
「そうか」
「こちらが正虎様からお預かりした文にございます」
「ああ」
左之助が手紙を差し出せば、為景はすぐさま手に取り、中身を開いて目を通す。
その仕草の素早いことから、なるほど姫が待っていたのは兄貴の手紙が待ちきれなかったのだと左之助は解釈した。
「……確かに受け取った。お前の今日の仕事は終いだ。ご苦労だったな」
手紙を確認して満足したのか、為景は心なしか緩んだ表情で左之助に声をかけ続ける。
「菖蒲が置いておいた握り飯が厨にあるはずだ。明日の朝、ちゃんと礼を言っておけ」
「わかり、ました」
「私は部屋に戻る。上月も休め」
「承知いたしました。お、おやすみなさいませ……」
「ああ、おやすみ」
言いたいことを言い終えたと言わんばかりに、為景はそのまま素早く自室に引っ込み、たん、と戸を閉じてしまった。
玄関に取り残された左之助はぽりぽりと頭をかいてため息をつく。
(とりあえず、今日の仕事は終わり、か……)
ぐっと伸びをして、くるりと指を回す。
腹に力をこめて左之助は指先から異能の氷を飛ばす。
「『______氷華』っ!」
彼が放った氷は空中に浮かぶと散り散りに割れ、そのカケラが屋敷中に飛び散っていった。
これは、左之助の異能を使用した対侵入者用の罠である。もしも侵入者が小さな氷の粒に触れれば、触れた箇所から凍りついていく術である。
「んーっ、終わり! 飯にしよ……」
術のかかりを確認して、息を吐く。
さて、握り飯の具はなんだろうと、そのまま厨に引っ込んでいく姿を、こっそりと為景が恨めしそうに見ているのを、忍びである左之助は気が付かなかった。
