「それにしても、そうか。君が為景の忍びなんだね」
ふと、正虎が左之助を見ながら笑った。
やけに優しい視線にどぎまぎとしながら左之助は嫡男に直答する。
「は、はい。先日までは別組におりましたが、ご縁がありまして為景様にお仕えする運びとなりました」
「どうかな、妹とはうまくやれそうか?」
「そう、ですね……。まだなんとも……」
頭の中に、ここ数日で見た為景姫の顔を思い出す。
忍び軍の頭領に啖呵を切り、男のような名で、男のようにふるまう姫。決して普通の姫君とは言えない彼女との関係構築は始まったばかりなのだ。左之助は言葉に詰まった。
「とら……」
「ん?」
しかし、ふと、出会ったときや、左之助に指示をする際の視線を思い出した。
「……どうも独特な雰囲気がある方のように思います。それこそ、虎のような迫力をお持ちだと感じました」
力強い視線で見つめられると、身がすくむ。女性であれだけの圧を出せることに、左之助は素直に感心したものだ。
「______…………………ぶふっ、」
しかし、左之助がそう告げると正虎はついに堪えきれなくなったように吹き出してしまったのだ。
「あはっ、あはははは!! そうか、虎か! ははは! いや、上手くやっているなら良いんだ、そうか、よかった!」
「はあ……」
(そんなに笑うようなこと、言ったか……?)
正虎の反応に左之助は首をかしげるが、次第にその笑い方は豪快なものになっていき、腹を抱えて、畳をたたき始めた。
しまいには目に涙を浮かべる始末である。
左之助はぽかんと呆けて、正虎の息が整うのを待つしかなかった。
「はー、笑った笑った……」
「ええと、私はなにか失礼なことを申し上げたでしょうか……?」
「なにいや、君が気にすることじゃないよ。はしたない姿を見せてすまないね。……ふふっ」
正虎は涙をぬぐいながら、体勢を整えて座りなおす。
口元の笑みは絶やさずに左之助へ再度優しい視線を投げかけた。
「あの子には、今までもこれからも苦労をかけることになる。君のような忍びが、為景のそばで力になってくれると嬉しいよ」
ここで左之助は、「ああ、なるほど」と理解した。
やけに正虎から向けられる視線が柔らかかったのは、正虎が左之助を通して為景を見ているからだ。
普通に考えて、本丸に住む嫡男と、追い出されているように侍屋敷に住む姫という明確な差別がある中で、正虎から姫に目をかけるのは難しいのだろう。
そんな中で妹の遣いとして左之助が来たものだから、ついつい「津路家嫡男」としてではなく「兄」としての側面が強く出てしまったらしかった。
『……正虎様』
「ああ、ありがとう」
また、正虎の影が揺れて声がかけられた。
正虎が答えると、ぬう、と影から紙・硯・筆が盆にのった状態で浮き出てくる。
それを怪しむこともなく正虎は手に取り、二、三言さらさらと文字を書くと、丁寧に封をして左之助に手渡してきた。
「これを妹に」
「承知いたしました。必ずお渡しいたします」
「うん、よろしくね」
もらった文をしっかりと懐に入れて、落ちないことを確認した左之助は、もう一度正虎を見て、頭を下げる。
「…………それでは、失礼させていただきます」
「為景をよろしく頼んだよ」
頭をあげて見えた正虎の顔は、やはり年の離れた妹を心配する兄の表情をしていた。
