「____考え事か、上月」
そんな時である。左之助の視界ににゅうっ、と。急に主人が入り込んできた。
「ゔえっ!? 為景さま!??」
急な出来事に、左之助は忍びにあるまじき大声で驚いてしまった。
思考をめぐらせていたばかりに、主人に気がつかないとは、忍びとして不覚であろう。
「…………………………なんだその幽霊でも見たような反応は」
「い、いえ。何でもありません……」
まさか不満を募らせていた、だなんて。冗談でも言えるような相手ではない。後ろめたさを抱えたまま、左之助は頭を下げて、自分の視界から姫を消し去った。
「それで、頼んだ物はどうした」
「こちらにございますが……。ただいま、姫の屋敷までお持ちしようと思っておりました……」
「為景様。御前、失礼いたします」
「あ、菖蒲さん……!?」
腕を少し動かして、姫に多量の品物を見せる。
すると彼女の後ろに控えていた菖蒲がするりと前に出て、左之助の手にある品々をじっくりと確認し始めた。
女性たちの四つの目に、嫌な汗が流れていく。
「……確かに。全てございますね」
「へい……」
「そうか、市井までご苦労だったな」
淡々とした菖蒲の言葉の後に、姫の労いが続いた。
かと思えば、次には為景はぽんと左之助の肩を優しく叩いて、こう言った。
「では、私たちがここで受け取ろう」
それはそれは、素敵な胡散臭い笑顔であった。
「へ?」
姫の見たことのない表情に、左之助は忍びらしからぬ間抜けな面をさらしてしまった。
その間に肩には姫の腕が回されている。
為景は左之助の肩に回した腕とは別の手のひらを彼の前に差し出し、ゆらゆらと揺らしていた。
「いやなに、ここから屋敷まで行くのは面倒だろう。私たちは今から向かうから問題ないゆえ、荷物を寄越せ」
「へ、いや、ですが、従者として為景様の手を煩わせるわけには……」
「良い。それにこの場には私たち三人しかいない。うるさく言うやつもいないだろうよ」
「しかし、一国の姫がみずから荷を運ぶなど聞いたこともありませぬ……」
「ああそうだ。こんなことをする機会はそうそうないぞ? だから甘えておけ、上月」
「ですが……」
「くどいぞ上月」
「………………ありがとうございます。ではお渡しいたしまする……」
「ああ」
妙に圧のある物言いの為景に、左之助はしぶしぶ荷物を菖蒲に渡す。
次の瞬間。為景は左之助に回していた腕に力を入れて、ぐっと顔を近づけた。
「で、だ。代わりと言っては何だが、次の依頼事がある」
姫にささやかれる言葉に、左之助はとてつもなく嫌な予感がした。
しかし時はすでに遅いのである。
ぺらりと左之助の目の前に差し出される紙。その紙を為景はごく自然な動作で左之助の懐にねじ込んだ。
「その手紙を本丸にいる兄上に渡してきてくれ。あと、急いで返事を頂いてこい。返事は夜中になっても良い。絶対に今日中だ。手紙は誰にも任せず、必ず、必ずお前の手から兄上に渡せ」
「えっ!?」
(たかだか忍びのこの俺に、高貴なご嫡男様と、直接会えって言うのかよ……!?)
為景の発言に、左之助は開いた口がふさがらなかった。
為景の兄である津路家嫡男 正虎と、忍びである左之助が直接会うためには、ここから本丸へ向かい、二つの門をくぐり、本丸内の取次役に話を通し、正虎に伺いの連絡をし、返事を待ち、そうしてやっと会うことができる。
しかも、これは急な謁見であることから、すんなりと正虎の前まで通される可能性はとても低い。
加えて手紙の返事をもらうまで待つとなれば、それ相応の時間がかかるだろう。
一体今日はいつ屋敷に帰れるのだろうか。
そんな一抹の不安を抱えつつ、しかし左之助はこう答えるしかないのである。
「承知、いたしました……」
「ん、頼んだぞ」
「へい……」
するりと為景の腕がほどかれた。
呆然と立ち尽くす左之助を置いて、為景と菖蒲はさっさと歩きだしてしまった。
(……ち、ちくしょう~~~~!!!!)
その無情な背中を見ながら左之助は、どん、と一つ大きく足裏を地面に打ち付けるしかできなかった。
