今宵、仮初めを卒業したく。


***

桐ヶ崎おかかえの運転手によって女学校まで通う奈津は、注目の的になっていた。

「奈津、見たわよ。どこのお嬢様かと思ったわ」

「やめてよ、小夜ちゃん」

同級生の小夜はニヤニヤと奈津をからかい、奈津は苦笑いだ。

「それにしても結婚したのにまだ学校に通うなんて、奈津ももの好きよね」

「そうかしら?」

「そうよ。だって普通結婚が決まったら学校を辞めて旦那様に尽くすものよ」

「だって、成臣さんも自由に勉強していいって」

「もー、そんなの真に受けてるの?優しいのね、成臣さん」

「そうね。優しい」

言葉にして、改めて実感する。最初の出会いこそ最悪なものだったけれど、結婚してからは優しい言葉をたくさんかけてもらっていた。奈津の勉学に対する向上心も認めてくれる成臣はいつしか奈津にとってよき理解者のような存在だ。

「それはそうと、子供ができたらさすがに学校辞めるのよね?」

「ええっ?」

「いいなぁ、憧れる。私も早く結婚して学校辞めたいなぁ」

「子供って……」

「だって夫婦になったんだから、当然経験済みよね。あー、奈津に先を越されたぁ」

「ちょ、ちょっと小夜ちゃんったら。やめてよ」

「いいじゃない。羨ましいのよ、私は」

あっけらかんと口にする小夜に、奈津はタジタジだ。

"経験"だなどと、奈津は考えただけで耳まで真っ赤になってしまう。そんな様子を見て小夜は羨望の眼差しで奈津をいじり倒した。

そもそも奈津と成臣は仮初めの結婚なのだ。お互い利害の一致で結婚を選んだにすぎないため、間違いが起きるわけがない。同じベッドを使っているのも使用人たちに仮初めだとバレないようにしているためだし、そもそも広すぎるベッドでは肌が触れ合うことすらない。いつもベッドの端で丸まるようにしている奈津は、成臣の方に背を向けている。それが寂しくないかと言われれば、最近は少しだけ寂しいような気もしている。一緒にベッドへ入ることへの抵抗はすでに無くなっており、背中越しに感じる成臣の呼吸に安心感さえ覚えているのだ。

(……何考えてるのよ、私は)

奈津はブンブンと頭を振る。そもそも勉学に励みたくて無理やりながらも窮屈な家から出たのだ。のびのびと学ぶことができるこの環境を大切にしていきたい。

(でもこの環境をくれたのは成臣さん)

いつだって奈津のことを想い、奈津のためにといろいろと先回りして準備をしてくれている成臣。仕事に打ち込みたいと言いながらも奈津に貿易や商法のいろはを惜しみなく見せてくれる。そして奈津を"好きだ"と言う。

(勘違いしちゃダメ。私の勉強に対する姿勢を評価してくれているだけなのよ)

奈津は自分を戒めるように、より一層勉学に励んだ。