「ご、ごめ……」
「謝らないで、先輩。僕だってお子さんのこと聞いたでしょ。お互い知らなかったんだから、ね」

彼は明るくわたしを遮る。

「うん……」
「けっこんはね。僕が悪かったんだ。全部」

明るい顔に一瞬、思い詰めた影がよぎる。彼はどこか遠くを見つめていた。けれども、その理由を聞く気にはなれなかった。離婚の理由はもちろん気になったけれど、かつての後輩だからと言ってその人生まで詮索していいわけない。

わたしは黙ってフロントガラスの向こうを見つめる。

やがて、大きな踏切が見えてきた。遮断時間が長いことで有名なその踏切は案の定、遮断棒がぴったり降りている。これを越えれば、うちのマンションもある住宅街に入るのだ。陽が落ちる前、街はオレンジ色に染まり始めていた。

「あっそうだ。上月くん。もし、採用になったら、今度こそその先輩呼び、やめてね。店長さん、困ってたじゃない」

不意に明るく彼にからかい気味に話しかけた。この、少し気まずい雰囲気をどうにかしたくて。彼は眉を寄せて考え込む。

「あー。でも、今さら何て呼んでいいかわかんないすよ」

また、やんちゃっぽい言い方に戻っている。

(これされると、立派なオーナーとはとても思えないんだよね。後輩くんになっちゃうから)

無意識なのかどうかわからないけれど、わたしはやれやれと苦笑いした。

蔭山(かげやま)だよ。蔭山莉子。今のわたしの名前」
「うん。知ってます。さっき履歴書、見ましたもん」

彼は口を尖らせた。そして、前を向いたままぽそりとこぼす。

朝比奈(あさひな)の方が、ずっといいのにー

急行電車が、ものすごい勢いで走り抜けていった。ごおおっという音は車の中まで響いてくる。それに紛れたかすかな呟き。
わたしは、なにも聞こえなかったことにした。

陽を受けて、街が赤く滲んでいく。落ちていく太陽は、わたしの頬も、彼の頬も、なにもかもを朱色に染め上げて、山の端へ沈んでいった。