幸い、両親は健在で、姉夫婦と一緒に住んでいる。だから、実家に出戻りのわたしが帰る場所はない。それでよかった。たまに、顔を見せて甥や姪を可愛がるのが楽しみでもある。狭いアパートはハンドメイドの資材でいっぱいだが、一人でやっていくには十分だし、全ての時間を自由に使えるのはとても、いい。

こちらへ戻るときに夫とは正式に離婚した。彼は時期が来たら東条由貴と再婚する予定だという。
慰謝料も何もなしの、すっきりとした離婚だ。
彼は支払いも念頭に入れていたようだが、子供が生まれれば当然そちらにお金がかかる。
わたしはそれを断った。蔭山裕一との何もかもを断ち切って、すっきりとしたかったのと、わたしだって一歩間違えば同じ道を歩んでいた可能性があるから。

家を出るとき、最後に裕一に挨拶した。
「元気でね。彼女と、お子さん、大切にしてください。彼女にはあんまり、きついこと言わないでね」

そう言ってから、そんなことしないのだろうと思い直した。彼は、あの女性(ひと)にはわたしのように接しないだろう。

わたしとの子供を望んでいなかったのは、彼もうすうす間違いだと気づいていたからなのかもしれない。この結婚を。
ボタンを掛け違えていることに目を背け続けた結婚生活という名の衣を、十数年後にやっと互いに脱ぐことができたという安堵を感じながら、別れを告げた。

喫茶店から出ると、港が見える大きな公園を通って出版社のあるビルへ向かう。
午後の太陽の光を反射して、海はきらきらと照り輝いていた。
わたしはふと、たちどまり、その煌めきを見つめる。

(あの二人はきっと、別の夫婦の道を模索していくんだろうな。本当に大切にしようと思えるひとと会えたんだから)
別れ際。
「いろいろ、悪かった」
彼ははじめて、わたしに謝った。
きゅ、と胸が痛くなる。
「わたしも」
あとは、互いに無言で、それぞれの道へと向き直った。裕一に対する色々な感情は、もう溶けてしまっていた。

目の前に広がる海のように、わたしの人生は果てしなく広がっている。
だが、ときおり、胸のどこかに刺さったままの小さな棘がちくりと痛む。

上月くんとのことだ。「ぜんぶ終わらせる」と言ったあのときから連絡は取っていない。
そして、『Blue』を辞める挨拶のときも、彼は来なかった。