恵の操作で画像が映し出される。


「みなさん、ご覧になれますか?見えにくかったら、ちょっと場所を移動してください。あくまで患者本人に見せるのが主眼なんで。」


と一同に声を掛けた黒部は、翔平に視線を向けると


「これが昨晩撮ったあんたの右足のMRI画像だ。はっきり言って、やばい状況だ。」


と言い切った。その黒部の言い草に、両親やスタッフ、それに朱莉の顔色が変わるが


「説明をお願いします。」


翔平本人は、普段と変わらない表情と口調で黒部を促す。


「右ひざの靭帯4本の内、3本が断裂。残りの1本も損傷している。この1本の損傷だけでも、全治半年の重傷で、手術してリハビリ復帰まで1年コ-スだ。更に神経も損傷、膝の皿も割れちまってる。」


黒部の口から語られる真実に、病室の空気は重くなって行く。


「実は1980年代後半、今回のあんたと同じような重傷を負った野球選手がいた。彼は運ばれた病院で『交通事故レベルの大怪我』と診断され、結局その病院では手の施しようがなく、負傷して3日後に渡米して手術を受けざるを得なくなった。執刀したのは当時、スポ-ツ外科医としては第一人者と言われた医師だったが、彼をして『スポ-ツでこんな大怪我を負った選手は見たことない。』『今まで見たことのない切れ方で、ここまで複雑な手術は初めて。』と言わしめるほどだった。」


「・・・。」


「結局、彼はその後、過酷壮絶と言うしかないリハビリにも耐え、多くのマスコミに再起不能と書き立てられながらも、負傷から1年2か月後に復帰を果たした。奇跡・・・と言っても決して過言ではない顛末だった。はっきり言おう。今回のあんたの状況は、当時の彼よりも重症だ。そして彼を執刀した名医はもういない。手術が彼のように成功する保証もない。失敗すれば、一生車いすかもしれん。」


「・・・。」


「だが、あの時から、医学は確実に進歩している。当時の日本のスポ-ツ医学はアメリカから10年、いや俺に言わせれば20年近く遅れていたが、今はそんなことはねぇ。日本にもこの手術を執刀できる医者はいる。わざわざ痛みに耐えながら、渡米する必要もない。あんたが頼むと言うなら、俺がやってやる。」


黒部がそう言い切った時、恵はハッとした表情で彼を見た。そして、彼の言葉をじっと聞いていた翔平は


「先生、絶対に成功させてもらえますか?」


問いただすように、尋ねた。