原田くんは、困惑していた。
 突如わたしが爆発したからなのか、少し涙目だったからなのか。理由はわからない。

 しばらく流れる沈黙の時。その時間はずっと互いに、視線を逸らさなかった。

「なんでだと思う?」

 ふと出された質問に、怒りがゆっくり降下していく。

「どうして俺が二月十四日に瑠美と会いたいか、心当たりないの?」

 心当たり。そんなもの、カケラもない。入学してからずっと福井くん一筋のわたしが、間違っても他の誰かと、バレンタインデーに約束するなんてことはない。

 どう足掻いても思いつかぬ節に、わたしは素直に首を振った。

「ない。思い当たることなんか、ひとつもない」

 そしてそれは、原田くんの肩を落とす言葉となってしまった。

 おもむろに口を閉じた原田くんは、一度下唇を噛むとまた、ゆっくり時間をかけて口を(ひら)く。

「じゃあ本当に、覚えてるのは俺だけなんだね……」
「え?」

 どういう意味なのかわからなくて、聞き返すけれど。

「もう俺、どうすりゃいいのかわかんねえよっ!」

 それの意味は原田くんから聞けずに、彼はくるっと反転して、そのまま階段を降りて行ってしまった。
 ガンガンガンガンと響く原田くんの上履きの音は、三フロア下の一階に着くまでずっと耳に届いていた。

 じゃあ本当に、覚えてるのは俺だけなんだね……

 なんて辛そうな顔だったのだろう。

 もう俺、どうすりゃいいのかわかんねえよっ!

 とても、苦しそうだった。

 わたしは何かを、忘れてしまっているのだろうか。あんな顔を原田くんにさせてしまうのだから、きっと彼と、大切な約束をしたに違いないのに。

 一体何を、わたしは思い出せていないのだろう。