今まで引き摺り込まれそうになったことはあれど、実際に引き摺り込まれたことはない。

こっ、これじゃあまるで正面から抱きしめられてるみたいじゃないか……!


「ちょっ……⁉︎渓くん……っ!」

「……翠。誕生日、おめでとう」


わたわたと慌てふためく私の頭上から掠れた声で紡がれた言葉。優しく撫でられる頭。


「……っ、」




ああ、こんなの、涙が出ちゃいそうだ。




ーーそう。今日は私の誕生日。

渓くんに、さよならを告げる日。


辛いけど。寂しいけど。でも出来るだけいつも通りにと頑張っていた私の努力を、あっさりと無駄にしないで欲しい。


こんな風に抱きしめられて、まるで愛おしいものでも愛でるかのように頭を撫でられて。

そんなことをされたら、決心が鈍ってしまう。

この温もりを、手放せなくなってしまう。



込み上げてくるものを必死で抑えていれば、


「……ぐー……」


聞こえて来たのは穏やかな寝息。


「………」



……本当に、私は最後までこの人に翻弄されっ放しだ。


複雑な気持ちでその腕から抜け出した私は、「寝るなバカ……」と小さな小さな暴言を吐いた後、さっきよりも強い力を込めて渓くんを再び揺り起こしたのだった。