拒まれるかと思ったけれど、香乃は不機嫌そうにしながらも家にあげてくれた。

 今まで香乃の部屋には何度も来たことがある。けれどこんなに気まずいのは初めてだ。千世は気を遣って私が香乃に話を切り出すのを待ってくれているみたいで、私たちのことを見守っている。

 呼吸をすることすら躊躇うほどの重たい空気が流れる中、私は意を決して口を開いた。


「ネットの件、さっき知ったんだけど……大丈夫?」

 唇をきつく結んだまま、香乃は視線を落とす。そして数秒間の沈黙の後、少し掠れた声で答えた。


「今のアカウントを消せばいい話だし。別に平気」

 嘘を示す白い光が香乃の周囲に浮かび上がる。
 ……本当は平気なんかじゃないんだ。千世の言う通り、香乃は強いフリをしていたのかもしれない。

 思い返せば、誰かとなにか起こると香乃は強気な発言をすることが多かった。けれどそれは自分の心を守るために必死に虚勢を張っていたのだろうか。


「アオハルリセットを繰り返しても、今までのことをなかったことになんてできないよ」

 精神を安定させるために香乃はアオハルリセットを行っていた。

 自分の見たいもの、繋がりたい関係。自分の理想の世界にしたくて、気にくわないものは排除する。そうやって排他的な世界を作り続けて、最後に私は残っているのだろうか。それを考えるたびに怖かった。


「なんで……っ菜奈にそんなこと言われなくちゃいけないの?」

 香乃の声は震えていて、青く光った。沈痛な面持ちで、今にも泣き出しそうだった。

 スマホを取り出してSNSを開く。そして香乃が投稿していた内容を見せた。


「これ、私のことだよね?」

 私が指摘してくると思わなかったのか、香乃の目が一瞬泳いだ。

「それは……私が思ったことをなんで書いちゃいけないの?」

 開き直るかのような発言に、心の中に押し込めていた香乃への鬱憤が溢れ出してくる。今まで我慢をしていたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 なにが問題なのか。それを考えることから香乃は逃げている。


「香乃のことSNSで悪く書いている人たちがいるけど、それもその人たちが思ったことだから書いてもいいってこと?」

 自分から赤い光が見えて、頭に血が上りすぎていることを自覚する。冷静にならないとダメだ。感情的に話しても話し合いにはならない。

「私の場合は内容が酷いじゃん!」
「確かにやり方が悪質だと思う。でも香乃自身も今まで誰が見るかわからないSNSで人のことを書いてきたよね」

 私のことだけじゃない。トワのリスナーと喧嘩したときに、相手の悪口を投稿していたこともあった。関わっていない揉め事に対しても、特定の人に対して批判的なことを書いているのも見たことがある。


「自分がされたくないなら、人にしちゃダメだと思う」
「私が全部悪いって言いたいの? 私の方はあんなに拡散されてんだよ?」
「全部香乃が悪いわけじゃないよ。でも、火種を作ったのは自分自身だよ」

 意見が食い違った相手に吐いた暴言は、様々な人から証拠としてスクリーンショットが集められていた。

 合わないという理由で周囲を傷つけていたことによって、その人たちからこういう形で復讐されてしまったのだ。

「香乃がしたことが、今返ってきてるってことでしょ」

 千世がため息混じりに言うと、香乃は憤然として私に刺すような鋭い視線を向けてくる。


「菜奈、私を裏切って千世の方につくんだ?」

 裏切るという言葉に、心臓が軋むような嫌な音を立てた。香乃から目を逸らすことができず、生唾を飲み込む。

「今まで菜奈のこと助けてきたのに」
「私、は……っ」

 中学生の頃、声をかけてもらってから助けられてきたこともたくさんあった。香乃に感謝をしているし、不満があるからといって傷つけたいわけでもない。

「裏切ってるつもりもないよ。でも……香乃の全てを受け入れることはできない」

 当たり前のことだけど、私と香乃は同じ考えではなくて、相手のことが好きでも、いつだって共感しあえるわけじゃない。

 それでも私の言葉でショックを受けている香乃の顔を見て、気持ちが揺らいでしまいそうになる。

 ごめんねと謝って、香乃の望む通りの言葉を口にしたら、傷つけることもなく丸く収まるのだろうか。


「そういうのやめなよ」

 千世の声に、沈みかけた感情が引っ張り上げられる。

「絶対裏切らない存在として、菜奈を縛るのどうかと思う」

 私の心も千世には見透かされている気がした。波風立てるくらいならと香乃に合わせようとしてしまう私に対しても、忠告しているように感じる。

 揉めるのが嫌で楽な方へと逃げようとする。それは私の悪い癖だ。
 香乃を想ってではなく、私自身が誰かを傷つけることが怖いだけ。人を傷つけた責任を負いたくないんだ。

「私のことそうやって悪く仕立て上げるのやめてくれない? だいたい千世にはもう関係ないことじゃん」
「香乃はさ、少しでも自分と合わない人がいると突き放すよね」
「そういう人に使う時間って無駄じゃん」

 不快そうに顔を顰めて香乃は即答する。
 合わないなら関係を切った方が楽だし、その人の使う時間が勿体ない。三人で一緒にいた頃も、香乃はよく言っていた。

 合わないのに無理して合わせることがよくないのはわかる。自分の心を守るためにも、そういった決断も時には大事だ。だけど香乃の相手をわざわざ傷つけるようなやり方に問題がある。

「自分を否定されたり、向き合うのが怖いだけでしょ」
「っ、千世ってやっぱり私のこと下に見てるよね」
「合わないところがあると、すぐそうやって遠ざけようとする」
「私のことアオハルリセットだとか言ってたくせに!」

 ふたりがどんな内容で喧嘩をしたのか私は詳しく聞いていなかったけれど、どうやら学校のことだけじゃなくて、アオハルリセットの件でも揉めたようだ。

 千世は以前から香乃の人との付き合い方には疑問を抱いていたので、喧嘩の際に思っていたことをはっきりと言ったのだろう。

「人間関係のリセットしたくなったとしても、そうする前にするべきことだってあるでしょ」

 香乃は片方の口角を上げて鼻で笑う。

「なに? 話し合いでもしろって?」
「そうだよ。対話しろって言ってんの。意見が合わなかったからって、暴言吐くだけ吐いて、そのあとは連絡受け付けないなんて。そんなこと繰り返してたら周りに誰もいなくなるよ」
「私が切ろうと思うまでの間、どれほど悩んでいたかとか知ろうとしてくれないくせに」
「教えてくれないんだからわかるはずないじゃん。察してもらおうとしたり、わざわざ傷つける言葉をぶつけて、最終的に自分の首しめてるのは香乃自身でしょ」

 香乃は自分を守るために、誰を傷つけている。香乃の言葉や態度に傷つけられて突き放された人たちの燻っていた不満が、今回の晒し事件で一気に爆発したんだ。


「千世だって酷いことしたじゃん! それなのになんで私ばっかり責めるの? 私との方が付き合い長かったのに……っ、遠ざけたじゃん!」

 それは青に光る悲痛な叫びだった。まるで自分を選んでほしかったと言っているように聞こえる。感情のままにSNSなどに吐き出している香乃でも、言えない気持ちがあったのかもしれない。

「先に素っ気ない態度をとって、悪口言ったのは香乃でしょ。やよいも香乃に対して酷いことしたけど、香乃も酷いことした。その自覚はある?」
「そんなことわかってる。でも……っもういい。今更こんなこと話したってどうにもならないし」
「まだ話は終わってない。ひとつ確認したいことがあるんだけど」

 千世はフリマアプリを開いたスマホを香乃に見せる。そこには例の空のアイコンのアカウントが表示されていた。

「これ、見覚えある?」
「え……」

 香乃の顔が引きつり、視線を泳がせている。明らかに動揺していた。

「トワのグッズを転売してるよね」
「は?」

 確信を持った千世が詰めていくと、香乃は面食らったように口をぽかんと開けて固まる。

「〝トワのオンラインイベントチケットにコメントが付きました〟って通知がスマホに届いてたの見ちゃったんだ」
「それは……その」

 言葉尻を濁すと、香乃は気まずそうに押し黙ってしまう。

「それにさ、私と菜奈が誕生日にあげたやつ売ったよね?」
「え、ちょっと待って」
「これ見て」

 昨年プレゼントしたトワデザインの限定腕時計とネックレスが売り切れているページを千世が開く。すると香乃は訝しげにそれを見ながら、首を横に振った。

「売ったりしてないよ」

 白い光ではなく青い光が見えた。香乃は嘘をついてない。むしろ悲しんでいるということだ。それなら、このアカウントは香乃ではない? でもどうしてこの話題になると歯切れが悪くなったのだろう。

「でもこの背景、香乃の部屋の壁紙に似てると思うんだけど」

 商品の背景を拡大した香乃は自分でも驚いた様子で「確かに」と呟く。けれどすぐに立ち上がると、机の引き出しの中からふたつの箱を取り出した。

 それには見覚えがある。私と千世が購入した腕時計とネックレスが入っていたケースだ。


「中身もちゃんとあるよ」
「え……本当だ」

 箱の中にはトワの愛犬であるモカのシルエットが文字盤に描かれている腕時計と、トワのサインモチーフのピンクゴールドのネックレス。

「ごめん、疑って!」

 青ざめて千世が謝罪をすると、香乃は怒る素振りもなく、黙り込んでしまう。ショックを受けているというよりも、叱られる前の子どものようにそわそわとしている。

「……通知が来たのは、私がこの人に質問してたから、その返答」
「それってつまり、香乃はこの人から購入してたってこと?」

 私の質問に、香乃はぎこちなく頷く。これが香乃の隠したがっていたことだったんだ。香乃は普段から私たちの前で転売を反対していて、そういった行為をしていたリスナーが問題になるたびに文句を言っていった。

「抽選漏れして買えなかったものとか、時々この人から買ってて……ダメなことだってわかってるけど、どうしても手に入れたくって」

 サイン付きグッズが当選した話をしていたとき、香乃に嘘が見えた。それは転売している人から購入したからだったんだ。

「でも、私も香乃のこと転売しているんじゃないかって疑っちゃってた。ごめん」
「偶然部屋の壁紙も似てたし……私も悪いことはしてたから」

 確証もないのに疑って決めつけてしまっていた。香乃に後ろめたいことがあったとはいえ、傷つけてしまったことには変わりない。


「でも私って信用ないんだなってよくわかったし。てか無理してまで話し合う必要ってある? どうせなに言っても私が悪いってなるじゃん」

 誤解をきっかけに更に香乃が心を閉ざそうとしているのを感じて、取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと焦燥する。

 千世もそれを感じ取ったのか、咄嗟に口を開いた。


「疑った私も悪いし、香乃だけを責めたいわけじゃないよ」
「さっきから千世は私のことばっかり責めてるくせに。もういいよ。こんなの無駄だって」
「香乃」

 話し合いごと投げ出そうとしている香乃に呼び掛けると、躊躇いがちに私の方へと視線を向けてきた。

「私たちのこと、嫌い?」

 香乃の瞳が揺れた。
 そして動揺を隠すように目を伏せる。


「……もうふたりと関わりたくない」

 白い光が眩しいほどに舞い上がった。その瞬間、目頭が熱くなる。
 素直になれなくて、離れないでほしいのに突き放して、自ら孤独になろうとしてしまう。

 もしも私に嘘が見えなかったら、香乃の拒絶を本心だと思って、ここで諦めていた。

「っ、私は……」

 なんて言葉を返せばいいのか、正解なんて思い浮かばない。代わりに涙がこみ上げてきて、視界がぶれていく。

「香乃はわがままなの面倒くさいし……すぐ人の悪口言うし、気分屋だし……千世も時々言い方がきついし、頑固なところあるし……っ私、優柔不断ですぐ合わせちゃってたけど……ふたりに不満もあった」

 涙なのか鼻水なのかわからないほど、顔が濡れてぐちゃぐちゃになっていく。

「でも、嫌いになれない」

 ふたりに自分の中の醜い感情を吐露するのは初めてだった。
 そんなことを考えていたのかと幻滅されるかもしれない。だけど本音で話さなければ、ふたりも心を開いてくれない気がした。


「合わないところがあっても、好きなところだってたくさんあるし……私、全部をなかったことになんてしたくないよ。リセットなんてしないで……っ」

 三人で過ごしていたときに撮った動画や画像も、メッセージもスマホの中に残っている。削除なんてできない。楽しかった記憶ばかりじゃなくても、私にとってかけがえのない日々だった。


「——っ」

 香乃は両手で顔を覆いながら、肩を震わせて喉に声を詰まらせるようにして泣いている。こんなにも弱々しく見えるのは初めてだった。

「本当に、香乃はもう私たちと関わりたくない?」

 その問いかけに、香乃は「だって」と声を上げた。けれどその言葉の続きをすぐには言わず、手で溢れ出てくる涙を幾度も拭う。

「……どうしたらいいのか、わからなかった」

 服の裾がしわくちゃになるほど握りしめながら、香乃はおもむろに話しはじめる。


「千世が私よりも他の子の方が大事なんだって思うと、苛立っちゃって……でも、それ以上に怖かった。見捨てられてクラスでひとりになるんじゃないかって」

 私はずっと香乃が誰かを切り捨てる側だと思っていた。
 だけど千世がクラスの中で新しい友達を作っていくのを見て、いつか捨てられると香乃も不安を抱えていたんだ。

「それでも菜奈さえいれば大丈夫だって思ってた。だけど、菜奈にも彼氏ができて、私には誰もいない気がして……どうしたら引き止められるのかわからなくて、匿名で嫌がらせして、私を頼ってくれればいいのにって。でもますます菜奈も離れていって……っ、それで、あんなこと……っ」

 香乃が心の奥底に隠していた感情を初めて知った。

 必要とされたくて、自分の傍にいてほしくて、振り向いてもらうための行動。だけどそれは間違ったやり方で、共感はできない。

 ——強いフリをしてるだけで、かなり弱いと思うよ。
 千世の言う通りだった。

 好き嫌いがはっきりとしていて堂々として見えていた香乃は、本当はひとりになることが怖かったんだ。


「香乃のことばっかり責めたけど、私も言い方とかキツかったし、態度悪くてごめん」


 千世がそっと香乃の肩に手を置くと、香乃は涙で濡れた顔を上げた。そして表情を歪める。

「近づくなオーラめちゃくちゃだしてきて怖かった……っ、千世すぐ怒るし。さっきだって疑ってくるし」
「疑ったのはごめん。けど香乃だって、すぐ怒ってくるでしょ」
「でも! 千世の方が言い方キツイ! 特に私に対して!」

 幼い子どもが駄々をこねるように反論する香乃に、げんなりとした表情で千世がため息を吐く。

「さっきちょっと反省してるのかな〜って思ったら、すぐこれだよ! も〜!」
「反省はしてるし!」
「えー……まったくそうは見えないんだけど。むしろ逆ギレしてない?」
「千世がそういうこと言うからじゃん!」
「あー、はいはい私が悪いです」

 先ほどまでは険悪だったふたりの雰囲気が変わった気がした。怒っているように見えるのに、赤い光が見えないからかもしれない。以前のような軽快な口喧嘩に見えて、こんなときなのに懐かしさに口角が緩んでしまう。


「なに笑ってんの、菜奈」

 千世はじとりと睨むと、私の頬をつねってきた。

「千世、痛い痛い! だって……ふたりが前みたいだなって思って」

 きょとんとした千世が頬から手を離すと、糸が切れたように床にぐったりと倒れ込む。


「は〜! もう一気に力抜けた!」
「ご、ごめん!」

 私が空気を読まず笑ってしまったせいだ。あたふたとしていると、香乃がティッシュの箱を手渡してくれた。

「……ありがとう」
「さっきから鼻水出てるし」
「そ、そこは触れないでほしいんだけど!」

 慌ててティッシュで鼻をかむと、床に寝転んでいる千世が「私も思ってた」にやりと笑う。空いてる手で千世の足を叩くと、大袈裟に反応して千世が縮こまる。

「痛っ! 菜奈、力強すぎ!」
「そんな強く叩いてないのに」
「脛は結構痛いんだって!」

 ほんの少しの間だけ和やかな空気が流れる。
 このまま何事もなかったかのように戻れたらどんなに楽だろう。けれどそれは一瞬だけで、きっとまたこうして問題が起こるはずだ。

 好きだけど、それだけでは上手くいかないことだってある。それを私たちは今回身を持って知ってしまった。

 そんなことを考えていると、千世が起き上がった。


「仲直りしよう、香乃」

 香乃は驚いた様子もなく、ただ頷いて千世の目の前に座った。
 頬にはまだ涙の跡がまだ残っている。けれど感情を発散させたことで気持ちの整理がついたのか、香乃は憑物が落ちたように落ち着いている。


「……勝手に嫉妬して、あんな風に悪口を言って傷つけてごめん」
「私も教室で冷たく接して、香乃の本音を聞きもせずに責めたりしてごめん」

 香乃が誰かと喧嘩をして、仲直りをしているのを見るのは初めてだった。
 いつもならそのまま投げ出して終わっていた。だけどきっと千世からの歩み寄りによって、意地を張っていた香乃も踏み出せたのかもしれない。

 香乃が今度は私の方へと向き直る。

「千世と仲が悪くなって、菜奈が千世の方に行かないかずっと怖かった」

 三人の関係が崩れて、香乃はひとりぼっちにならないために私を繋ぎとめようとしていた。もしもあのとき私が三人で話す機会を作れていたら、今とは変わっていたのだろうか。


「それに菜奈と伊原くんが仲良いのを知って、私のことどうでもよくなるんじゃないかって。でも、だからって捨て垢で攻撃して怖い思いさせてごめん」
「……盗撮されてるって知ったとき怖かった。SNSで書かれたときもかなり傷ついたし、そのときも気持ちは簡単には消えない」

 どんなに不満があっても、匿名で攻撃をしたり、誰かを苦しめていい理由にはならない。
 いつどこでレンズを向けられているのかと不安になって、シャッター音にすら怯えていた。謝られたからと言ってなかったことになんてできない。


「香乃が好きだから、許せないこともある」

 中学から一緒の大事な友達で、これから先も仲良くしていたい。そう思うからこそ、飲み込んではいけないときもある。

 我慢をする関係はいつか綻びを生んでしまう。


「だからもう、あんなことしないで。不満があったら直接言葉で教えて」
「……っ、うん」
「でも私も都合よく合わせてたとき何度もあったから、これからはふたりに正直に伝えられるようにする」


 突き放すよりも、飲み込むよりも、言葉を尽くしたい。
 周りと良好な関係を築くために合わせることも時には大事だけれど、親しい仲だからこそお互いに本音を見せ合えるようにしていたい。


「私も自分のことばかりでごめんね。香乃の気持ちや、千世の気持ちに気づけないことたくさんあったと思う」


 一緒に過ごした時間に甘えていた。香乃や千世について、私は理解しているつもりだった。だけど結局ふたりの葛藤も知らずにいた。

 人は日々、生活環境や周囲の人の影響を受けながら変化をしているのに、自分の知る相手が全てだと思い込んでいたんだ。もっとお互いについて話せばよかった。


「私も誤解して菜奈のことを無視して、傷つけて本当ごめん」
「菜奈にも千世にも、酷いことして……ごめん、なさい……っ」

 謝罪をしあって、気持ちを曝け出しても、無事に元どおりになれるわけではない。それでも私たちにとって、必要なことだったのだと思う。


「それと……ふたりとも、今日来てくれてありがとう」

 涙を堪えるように香乃が笑った。
 私も千世も、香乃も中学の頃とはもう違う。
 あの頃、いつも一緒にいた私たちは些細なことで笑いが尽きなくて、少しの嫌なことくらい飲み込めていた。

 けれど、いつのまにか合わない部分に焦点がいくようになっていた。
 共感できなればいけないわけじゃないのに、自分と相手の〝違い〟をうまく受け止められなかった。

 お互いを尊重していけるかどうかが、関係を続けていけるか、縁が途絶えてしまうかの分かれ道になるのかもしれない。


 香乃の部屋を出る前に、机の上に飾られていた写真が見えた。あれは中学の卒業式の日に香乃のお母さんが記念にと撮ってくれたものだった。

 大人になっていく過程で、どれほどの人たちが変わらない友情を続けていけるんだろう。以前のような関係ではなくなっても、私たちの友情は五年後、十年後と続いていけるのだろうか。


 未来の自分たちを想像して、途絶えてしまうかもしれない切なさと、このときの出来事を三人で笑い合える日がくるのかもしれないという僅かな希望が胸の奥に宿った。