やよいちゃんから向けられる敵意と、謎のアカウントの件の悩みが増えてしまったけれど、学校生活に支障はなかった。画像を送ってきている犯人は一体なにがしたいのだろう。
「——菜奈、聞いてる?」
「え、あ、ごめん!」
香乃に久しぶりに放課後に遊ぼうと誘われて、ファミレスに来ていた。いつもどおりトワの話で盛り上がっていたけれど、ふとしたときに自分の周りで起こっている様々なことをどうしたら解決できるのかと、考えてしまう。
香乃が少しだけ声のトーンを落として、真剣な表情になる、
「菜奈元気ないよね」
「……ちょっと色々疲れてるのかも」
「いいねも遅いもんね」
その指摘にどきりとした。SNSで周りの投稿に反応するのが億劫になっていて、浮上していないフリをしてしまっていた。けれど、いいねを押さないとこうして香乃は気にする。
「ごめん。……最近寝るの早くて」
「みんな言ってたよ。菜奈が最近低浮上で心配だって」
「え……そうなんだ」
どこで、誰が言っていたの?と聞きたくなったけれど、聞けなかった。香乃や一部の子たちの間で、私の知らないコミュニティがあるのかもしれない。
「ほら、いつも反応早かったしさ。みんなの投稿にいつもいいねくれたじゃん?」
SNSは楽しいときもあれば、繋がりが苦しくなるときもある。
「それに菜奈の好きなトワの脱出シリーズが配信されてるのに、無反応だったから心配だねーって」
学校とはまた違った画面越しでの周囲の目。
なにを拡散しているとか、なににいいねをしているかとか、どんな投稿をしているかでそのアカウントのイメージがつけられていく。
「私は一部とだけど、菜奈って結構幅広く繋がってたから気にする人も多いんじゃない? 私リア友だからって菜奈のこと聞かれるんだよね〜」
趣味でやっている自分のアカウントのイメージ像から、時折逃げたくなることがある。
みんなの投稿に反応しなければいけないわけじゃない。なにも投稿したくない気分のときだってある。けれど、それはみんなの中で〝らしくない〟と思われてしまう。
「人見知りなのにSNSでは菜奈って喋るもんね」
香乃が今どんな気持ちで私に話しているのかとか、不満を抱いているのかとか。そんなことばかりに囚われて顔色を気にしてしまう。
SNS上の行動は周囲に筒抜けなのだと思うと、いっそのこと全部手放してしまいたくなる。
一瞬、あの言葉が頭に浮かんだ。
——アオハルリセット。
人間関係の整理をする香乃の気持ちを、今なら少しは理解できるかもしれない。
悩みも煩わしい関係も消し去りたいけれど、投げ出す勇気もない。
SNSを捨ててしまえば、香乃になにか言われるだろうし、トワの情報も入りにくくなる。それにフォロワーの人たちとは、細い糸で繋がっているようなもので、アカウントを消すだけで関係もなくなってしまう。
「香乃はSNSあんまり見ないときとかある?」
「んー、まぁ時々消すけど、我慢できなくて私すぐ新しいの作っちゃう。え、もしかして誰かと揉めてアカウント作り直したいとか?」
「ううん、そういうわけではないんだけど……」
「ふーん」
悩みごとや考えることが多くて、SNSを開く気力があまりわかない。けれど悩みの種は香乃のことも含まれているので、どう話せばいいのかがわからない。
それに詩のことも香乃は話しても興味を示さないかもしれないし、あまり家族以外の人に詩のことを相談する気になれなかった。
「千世とは全く話してないの?」
呆れたようなため息を吐くと、香乃が表情を歪ませる。
「だって千世、私の気持ちなんて無視するし。理解してくれようとしないじゃん。自分の気持ちばっかり押し付けて、ここを直した方がいいとかそんなのばっかり」
「でも……」
——千世は香乃を理解していたけれど、共感をしていなかっただけだよ。
そう口にすることができなかった。これを言ったら香乃が怒る。
千世は香乃にとってなにが嫌なのかわかっている上で、SNSで縁を切ってアカウントを変えるのを繰り返すことがあまりよくないと伝えていた。
それは同調で香乃の心を守るのではなく、香乃自身が改善しないと繰り返し続けるから指摘していたのだ。
「菜奈はクラスが違うからよくわかってないだろうけど、千世が私を裏切ったんだよ」
「それって香乃に嫌がらせしてきてる子たちのこと……?」
「そう。千世の仲いい子が私に嫌がらせしてきてるのに、むしろ私のこういうところが原因だとか言ってきて、酷くない? なんで加害者側を庇うのかわけわかんない」
具体的に千世が香乃にどんなことをしたのかわからないけれど、千世は不信感を抱いていたのは確かだ。香乃にとって、千世が他の友達を庇うような発言をしたことが裏切りと感じたのかもしれない。
「それに、かなりムカつくことも言われたし」
香乃の表情が強張る。赤い光は見えず、苛立っているというよりも、なにかに怯えているような不安定さを感じる。
「……なに言われたの?」
「身に覚えのないことを疑われた」
香乃の周囲が白く光り、私は目を見張った。
嘘が含まれている。
そして〝疑われた〟という内容が、もしも以前千世が言っていた、ゆーかちゃんを攻撃している捨て垢の犯人の件だとしたら……。そう頭に過ぎったけれど、口に出すことができなかった。
「私には菜奈がいてくれればいい」
きっと以前の私なら、香乃の支えになれて必要とされることが嬉しかった。
香乃に切り捨てられたくないと思っていたはずなのに、今は純粋な気持ちで喜べない。
たとえば香乃にまた学校かSNS上で親しい子ができたら、私は後回しになる。困ったときにだけ、私は一番になれる存在。
香乃の中で、私は絶対に離れていかない人だから、優先順位が低いのだ。
中学の頃に香乃に救われてから、私と香乃の中で上下関係が自然とできてしまっている。
「もう千世の話はやめよ」
香乃がポケットからスマホを取り出して、口を噤んでしまう。
しまった。相当機嫌を損ねてしまったみたいだ。おそらくは私が香乃の言葉に即答をしなかったからだ。
「香乃」
話しかけても、香乃はスマホを見ている。ちらりと画面が見えて、SNSを更新しているのだと察しがついた。
「ごめんね」
「なにが」
香乃の望む答えをすぐに言えなくて。そう言ったら、彼女は顔をしかめるはず。
「……千世の話題出しちゃって」
「別に。もういいよ」
スマホを閉じてこちらを見た香乃に、肩の力が抜ける。それと同時にどうして私はこんなにも香乃の顔色をうかがってしまうのだろうと、自分に嫌気が差してしまう。
「そういえば、今しらうめって人にハマってるんだけどさ〜、めちゃくちゃびびりでホラゲのリアクションが面白いんだよねぇ」
最近香乃はトワの話題を避けている。間違いなく理由は先日の炎上の件だと思うけれど、それが原因で熱が冷めたのかもしれない。私が繋がっているリスナーでもそういう人はちらほらいた。
「菜奈も好きだと思う! 今度時間あるとき見てほしい!」
スマホを取り出し、アプリの検索欄に香乃のおすすめの配信者の名前を入力する。
「しらうめ……あ、この人?」
出てきたアイコンを見せると、香乃は興奮気味に頷き、「それそれ!」と笑顔になった。
「あとで見てみるね」
動画をお気に入り登録していると、通知が届く。トワの実況動画の最新情報だった。
「トワ新しい動画投稿したんだね」
「あ、本当だ。後で見ないと」
てっきりトワに興味を失っているのかと思ったけれど、そうではないみたいだ。
「てかさ、あの炎上の件、ハニトラって噂あるんだよ」
「え? ハニトラって……女の子側がトワを陥れたってこと?」
「うん。トワの画像の切り抜きを手伝っていた子らしいんだけど、それで会っていただけみたい。で、その子はトワが振り向いてくれなかったから腹いせに匂わせをして付き合ってるって炎上させたんじゃないかって」
一体どこからそんな話が出てきたのだろうと困惑する。だってトワ自身が認めていることをどうして他人が否定しているのだろう。
「画像だって合成の可能性あるしさ。大体トワがファンに内緒で付き合うはずないじゃんね」
「でも、トワって認めてたよね?」
「それは相手の子が叩かれないように庇ってるんだと思うんだよね。トワってそういう人じゃん」
トワは嘘をついていない。付き合っているのは事実だ。もしもそう伝えたら、香乃は反発して、何故わかるのかと言ってくるはずだ。
けれど人の嘘が見抜けるようになったなんて言えない。
信じてくれたとしても香乃の嘘に私が気づいていると知れば、香乃はどう思うのだろうか。
そして私は、今香乃に対して恐怖心を抱いてしまっている。
先ほどの香乃の言葉に嘘がない。
トワに彼女がいることは嘘で、相手の子に陥れられたのだと本気で信じているのだ。
「てかさ、菜奈。コラボカフェ行ったの?」
その指摘に、どきりとした。伊原くんと一緒に行ったときに撮った画像は一枚も投稿していない。それなのにどうして香乃が知っているのだろう。
「うん。……誘われて」
「そうなんだ。この間、菜奈がまゆちゃんとしてたコラボカフェの会話見ちゃって、あれ?って思ってさ」
そういえばコラボカフェに今度行くという子が、メニューの味がどんなだったか気になると言っていて、私がそのことについてリプライをした。フォローしている人たちの会話は自然と見えてしまうので、それで香乃が気づいたらしい。
「誰と行ったの?」
「え、っと……同じクラスの人で」
微笑んでいる香乃の目が笑っていないように見えて、正直に話すか迷う。けれど隠したら怪しまれるかもしれない。
「伊原くんっていうんだけど、トワリスナーなんだ」
「へー、菜奈が男子と仲良くなるって珍しいね」
「モカのステッカーをスマホに貼ってたら、声かけられて……」
なにもやましいことはないのに居た堪れない気持ちになる。まるで詰問でも受けているかのようだった。
「でも男子と話すの苦手でしょ?」
「……うん」
「それなのにすごいね、伊原くんって」
香乃は淡々とした口調で、内心よく思っていないのが伝わってくる。
イベントとか今度一緒に行く約束したことを話せるような空気ではない。香乃にとってなにかが気に食わないみたいだ。
「てかさ、菜奈。大丈夫?」
「え?」
「だって、ほら」
眉を下げた香乃は言いづらそうに、一度を噤む。
「あの人ってさ、結構目立つでしょ。遊ばれてんじゃない?」
「で、でも伊原くんは、そんな人じゃないよ」
「そうかなぁ」
香乃と私の、伊原くんへの印象が異なるようだった。
「ただ同じトワリスナーだからコラボカフェに誘ってくれただけだよ。特別ななにかがあるわけじゃなくて……」
「あのね、菜奈」
私の腕を掴み、香乃は言い聞かせるように言葉を続ける。
「正直、本気にならない方がいいと思う。絶対なにか裏があるって。あとで辛くなるのは菜奈だよ」
私と伊原くんでは違いすぎる。そんなこと私自身もわかっていた。
だけど、伊原くんがどんな人か知らない香乃に決めつけられるように言われて、胃のあたりが煮えるように熱くなってくる。
私の一方的な想いで終わったとしても、伊原くんは他人の気持ちを弄ぶような人ではない。
「それに千世と仲良い子が伊原くんのこと好きっぽいんだよね。下手したら菜奈、あの子たちにいじめられるよ」
おそらくやよいちゃんのことだ。既に敵意を持たれているのは間違いない。
幸いクラスが離れているので、睨まれる以外はなにもされていないけれど、香乃の言う通り今後なにかが起こるかもしれない。
それに盗撮のこともある。まだ犯人が誰なのかはわからないけれど、私をよく思っていない誰かがこの学校にいるのだ。
「伊原くんって、裏では悪い噂多いしさ。深く関わる前に離れた方がいい」
香乃の周囲が白く光った。悪い噂なんてないのに、何故香乃は嘘をつくんだろう。私を心配してくれているのか、それとも私が伊原くんと交流があることをおもしろく思っていないのかもしれない。
「どうして……香乃はそんなこと言うの?」
そう問いかけるのは怖かった。でも香乃の本当の気持ちが知りたい。
香乃は柔和な笑みを浮かべながら、私の腕から手を離す。
「菜奈のことが心配だからだよ」
「——っ」
……どうして。
香乃にとって、私はどんな存在なの?
視界に映る白い光が、目の奥にしみて私は必死に涙を堪えた。