どうせいつか、父が俺に婚約者をあてがうだろう。笛吹製粉の役に立つ家柄の女性を。それなら、別の女性と恋愛するのは時間の無駄で、相手にも失礼にあたる。

そう考えながら、俺は本音の部分で恋愛が怖かったのだと思う。
母を失った父を思い出すからだ。母の葬儀前後の父は可哀想なほど憔悴していた。会社のトップとして、立派に妻を送り出したように見えたが、母の棺の前で動けなくなっていた父の姿は忘れられない。

たったひとりを失えば、これほど苦しまなければならない。それなら恋愛なんてしなくていい。
恋をしなくても生殖はでき、跡継ぎは残せるのだから。

……だから、奥村明日海を前にして俺は自分の感情に戸惑った。
こちらから挨拶をしておいて、愛らしい表情で見つめられたら動揺してしまった。

「堅苦しくつまらないでしょう。疲れたら控室へどうぞ。紅茶でも運ばせます」


そんなことしか言えず、笑顔も見せられない俺の方がつまらない。本当にどうして気の利いた言葉が言えないのだろう。
その場から離れたものの、何度も彼女の姿を目で追ってしまった。

「奥村フーズの社長の娘さんは大学生かな。若くて驚いた」

思わず父にそう言ってしまったのも、彼女の情報が知りたかったからだ。

「ああ、明日海さんか。大学一年生じゃなかったかな」

父は答えて、無邪気に「気になるタイプか?」なんて言ってきた。
俺は途端に狼狽して、言葉に詰まったのを覚えている。
好みだなんて軽率に言いたくなかった。彼女の見た目だけで気になっているなんて軽薄すぎる。俺は誰とも恋愛をする気はないというのに。