別れてからずっと、”ありがとう”なんて聞く事はなくて。
それどころか耳に痛い言葉ばかりの現実を思い知らされていた。
それも仕方ないって自分に言い聞かせて耐えていたけれど、今は素直に……嬉しい。
浮気されて別れた男にお礼を言われただけでそんな事を思うなんて、私はバカだなぁって……自分でも思う。
「じゃぁ俺は帰るな。瑠歌も夜道は気をつけて」
「うん、ありがとう。凪も気をつけて」
『また明日』と小さく手を振りながら、凪の後ろ姿を快然とした気持ちで見送っていた。
待ち合わせていた人物の事も忘れてーーー
「良い雰囲気のところ悪いが」
背後からゴホンと咳払いと共に聞こえてきた桐葉さんの声に、『そうだった……』と思い出して気恥ずかしくなりながらゆっくり振り返る。
「もしかして……全部見てました?」
「そりゃぁな。お前を待っていたんだから」
『やっぱりそうですよね』と顔を引つらせながら笑ってみせた。
***
いつの間にか時計は21時を指していて、行き交う車や人々の数も減ってきて街は閑散としている。
改めて桐葉さんといつものBARのいつものカウンター席に腰を下ろすと、あいかわらず優しい笑顔で迎えてくれるマスターにお酒を注文。
今日も優雅なクラシック音楽と、ひっそり静かな店内の雰囲気に心休まる。



