ディーに苦手な食べ物が多いことはわかった。
 さらにサマラはディーと暮らして一年が経った頃、彼の好物が何かを理解したのだった。それは――。

「……また鮭……」

 アリセルト邸のテーブルには、今月五度目の鮭料理が並ぶ。以前から鮭料理の割合が高いなとは思っていたが、どうやらディーの好物らしい。

 鮭は昔から知恵と知識の食べ物といわれ、魔法使いにとっては欠かせない食物だ。大昔には、鮭を焼いたときに指に火傷を負った者が、その火傷を舐めたら魔法が使えるようになったなどという寓話まである。

 そのせいなのか、それとも趣向の問題か、はたまたその両方かわからないが、ディーが鮭を好んでいることは確かだ。もっとも、表情の変化に乏しい彼が鮭を前にしてニコニコするわけではないが、サマラにもやたら「鮭を食べるといい」と勧めてくるので、推し食材なのだろう。

 サマラも鮭は嫌いではない。食卓に出る頻度が高すぎるなとは思うけれど、むしろ好きな方だ。

 ――ただ、アリセルト邸で鮭料理を食べれば食べるほど、サマラはある問題に悩まされる。それは――。

(ぁああ~~! この鮭、おにぎりにしたい~~!)

 日本人だった頃のDNAが強烈に目覚めてしまうのだった。

 『まほこい』の舞台モデルは、昔の西欧だ。鮭料理というとワイン煮にソースをかけた伝統料理が多く、たまにソテーしてソースをかけたものが出る。主食の穀物は小麦で、大体パン、時々小麦粉のおかゆといった感じだ。つまり、おにぎりなどというものは存在しない。概念すらないのだ。

 けれどサマラは前世で馴染み深いこの魚を口にするたび、どうしても食べたくなってしまうのだ。こんがりと網焼きした鮭をツヤツヤの白米と風味豊かな海苔でくるんだおにぎりが。

 その欲求は食卓に鮭が出されるたびに募り、サマラはついに決断する。

(作ろう……おにぎりを!)

 ないのなら、作ればいいのだホトトギス。食への飽くなき欲求というのは、人を突き動かす情熱を持っている。しかもDNAに刻まれた郷愁の味ともなればなおさらだ。

 サマラは自室で、おにぎりについての計画を立て始めた。

(まずはお米、それから海苔よね)

 しかし米という食材がこの『まほこい』世界に存在するのか、サマラにはわからない。
 前世の西欧では国によって昔から米を食べる習慣もあったが、果たして『まほこい』世界にも同じことが言えるのだろうか。
 少なくとも、サマラになってからは米を食べたことはもちろん、お目にかかったこともない。入手は困難そうだ。

 さらに問題なのは海苔だ。メイザー大陸で作られている可能性はゼロである。
 海藻自体はなくはないが、ポピュラーとは言い難い食材で入手も難しい。そもそも海藻を手に入れたところでサマラにはどれが海苔なのか区別もつかないし、そこから板海苔を作るすべなど知らない。

 なんとなく木枠に伸ばして干すというイメージはあるのだが、佐藤優香は産地の出身でもなければ料理好きでもなかったので、生製法を知る由もなかった。

 メインとなる食材がいきなりふたつも入手困難で、サマラはぐぬぬと唇を噛んだ。

(おとーさまにお願いして異国にあるか調べて取り寄せてもらう?)

 そんな甘えた考えが頭をよぎったが、サマラはブルブルと首を横に振った。

(これは私の……佐藤優香の戦いよ! おとーさまの手を煩わせる訳にはいかない!)

 前世の郷愁の念を今世に持ち込むのは、なんとなく気が咎める。第一〝おにぎり〟などという奇天烈な食べ物のことをディーになんと説明するのか。ややこしくなりそうなことを考えると、サマラはディーを巻き込むのは避けたいと思った。

(ならば、私が自力でそれっぽいものを開発するしかないわ)

 こうしておにぎりの情念に憑りつかれたサマラは、三日三晩代替になる食材と調理法を考え続けたのだった。